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病身で人を祈る博志君【金光新聞】

博志君とお母さんの闘病生活

 私のいとこの子どもで当時小学4年生の博志君は、3年前の秋ごろから、なぜか疲れやすく、微熱が続きました。大学病院に入院し、詳しく検査をした結果、小児急性骨髄性白血病と診断されました。
 この時から、博志君とお母さんの闘病生活が始まりました。お母さんは昼夜を問わず付き添って看病を続けました。博志君も抗がん剤の副作用に耐えながら、治療を頑張り、入院から半年で退院することができました。 しかし、その喜びもつかの間、2カ月後の検診で再発が分かったのです。まだ体力が戻らない中での再入院でした。今度は骨髄移植による治療をすることになり、ドナー探しが始まりました。抗がん剤治療をしながらドナーを探していたところ、3人の適合者が見つかり、不安に押しつぶされそうなお母さんや親族の心に、希望の光が差し込んできました。

 移植の日取りが決まったころ、博志君は一通の手紙を書きました。「神様への手紙」と記されたそれは、お母さんからおじいちゃんに渡され、おじいちゃんは金光教本部に参拝して教主金光様にお届けしました。
 そうして当日を迎え、多くの人たちの祈りの中で無事に移植が行われました。
 3週間後、移植された骨髄は、博志君の体内で、新しい血液をつくり出していました。この時は、誰もが博志君の回復を疑いませんでした。
 しかし、その2カ月後の血液検査で、再発が確認されたのです。
 博志君はあきらめませんでした。つらい治療に、持ち前の我慢強さで耐えました。そして、一時帰宅の許可が下りると、日ごろお世話になっている病院の先生や看護師さんに、「自分でたこ焼きを焼いて、お土産にする」と言い、誰の手も借りずに、たくさんのたこ焼きを焼きました。この時、博志君の足には水がたまり、丸太のように腫れ上がり、歩くことも困難な状態でした。

「神様への手紙」

 私は、お母さんからその話を聞き、博志君が病気と闘う中で、多くの人のお世話になっていること、人の痛みや苦しみを思いやり、お礼の心を表わすという人として大切なことを学んだのではないかと思いました。
 発病から一年半後のその日、博志君はいつものように朝食を済ませ、歯みがきをしました。ところが、その後、容体が急変し、そのまま12歳の若さで神様のもとに帰っていきました。
 後日、博志君が書いた「神様への手紙」について、お母さんが私に話してくれました。博志君が手紙を書いた時、「これでいい?」と見せてくれたというのです。

 その手紙には、自分の病気が治りますように、とは一言も書かれていなかったといいます。そこには、「病院で一緒に治療を受けて、亡くなった友達が幸せになれますように。治療が苦しいので、いい薬ができて、簡単に治るようになりますように」ということと、「家族が元気でありますように」とあったそうです。
 博志君は、最後まで懸命に生き抜きました。だからこそ、他人のことを願い、お世話になっている人に感謝の気持ちを伝えたかったのだと、私には思えたのです。
 告別式の日、12歳の短い一生を「かわいそうに」と悲しむ声が耳に入りました。私は、「素晴らしい生き様を見せてくれて、ありがとうございます」と、手を合わせたのです。
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投稿日時:2010/06/16 10:51:06.403 GMT+9



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