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社会活動

「人の難儀な時を助ける」ご用に奉仕

 本教では、さまざまな社会活動が行われている。
 世と人のお役に立つことを願いとして、信奉者個々によって、あるいは有志の団体によって、あるいは教会・教団によって、それは多様に進められている。いずれの活動も、「神も助かり、氏子も立ち行く」世界の実現に向かう信仰の発露として、それぞれ独自性をもって営まれている。
 教祖金光大神様は、「人が人を助けるのが人間である。… 人間は病苦災難の時、神様や人間に助けてもらうのであるから、人の難儀な時を助けるのが人間であると心得て信心をしなさい」とみ教えくださった。このみ教えは、人間として大切な生き方を教えてくださっており、天地金乃神様が私たちにかけてくださっている、「そのような人間であれよ」というみ思いを知らされるものである。
 また同時に、このみ教えは、人間と、人間が作り出している社会に対する警けい醒せいでもある。天地の道理を忘れ、「人が人を助ける」ことになっていない社会。自分の都合さえよければそれでよしとして、他人の難儀に目をつむる生き方の蔓まん延えん。そうした世相に対して、金光大神様は、改まりの道を私たちにお示しくださっている。
 ご先祖を含めて、ご自身のありように鋭いまなざしを向けられた金光大神様は、四十二歳のご大患を機に、天地金乃神様と共に、新たなご信心の道に歩みをお進めになった。そして、そのご信心はやがて、「世がめげる」と仰せになる社会に対する鋭いまなざしと相まって、新しい道の開かい闢びゃくとなっていった。今、私たちは、自己と世に対して、「これでよいのか」と問いかけながら、あらためて、「人が人を助ける」時代を開いていく自覚を新たに、日々の信心生活を進めていくことが肝要であろう。
 ところで、私たちが、「人が人を助ける」信心生活を進めながら、社会活動に取り組むに当たっては、天地金乃神様と生神金光大神様と人間の間柄について、常に思いを深めていくことが必要ではなかろうか。
生神金光大神様のお取次によって、天地金乃神様の救いは世と人に顕現するが、「金光大神は形がじゃまになって、よそへ出ることができない。形がなくなってからは、来てくれと言う所へ、すぐに行ってやる」というみ教えを拝する時、人間はいつでも金光大神様においでいただいて、天地金乃神様の救いにあずかることができる、ということを教えられる。このことを、私たちが「人の難儀な時を助ける」人間にならせていただこうとする時に、忘れてはならないこととして心に刻んでおきたいのである。すなわち、
 生神金光大神様は、難儀な人間が「来てくれ」と叫んでいるところへお出ましになって、天地金乃神様の救いを現される。私たちはそのお伴をさせていただいて、あるいはお手代わりとならせていただいて、「人の難儀な時を助ける」。それが、「人が人を助ける」時代を開いていく者のご用ではなかろうか。常に金光大神様のお出ましにお伴し、お手代わりとならせていただいて、「ここに神が生まれる」働きをもって、世と人に奉仕することが、社会活動を進める時の私たちの基本姿勢であろう。
 本誌六月号で既報のとおり、今年も、お道の信心にもとづく平和集会が、七月十八日には東京と山口で、七月二十五日には京都と広島で、八月二十九日には長崎で開催される。社会活動の一環として営まれる平和活動が、それぞれの願いのもと、活発に行われることが願われる。とくに被爆地・長崎で、あらためて平和の「祈りのつどい」が持たれることは、誠に意義深いことである。各地の平和活動同様、関係各位のご尽力には並々ならぬものがあったことと思い、深い敬意の念を表する次第である。
 教祖金光大神様が取次に専念されるようになって、百五十一年。長い年月ではあるが、わが道が足腰強くして、世界の平和と人類の助かりのお役に立つには、まだまだ数十年、数百年の道のりが必要であろう。
 「人の難儀な時を助ける」活動には、これで済んだということはない。一つの活動が次の活動を生みだし、その活動をさらに展開させて、「人が人を助ける」社会を求め続け、「ここに神が生まれる」働きを生み出し続ける一歩一歩こそが、私たち信奉者の平和への取り組みとなる。「人が助かることさえできれば結構である」と仰せになる金光大神様のみ心を頂き、主体的に「人の難儀な時を助ける」ご用に奉仕させていただけるよう、努めてまいりたい。

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投稿日時:2010/07/01 16:41:32.537 GMT+9



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