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母親が残した人生の宝【金光新聞】

早過ぎる死

 英語教室を開いている和美さん(49)は、毎年、子どもの学業成就を願って教会で仕えられる勧学祭に参拝してきます。【金光新聞】
 教室に通う子どもたち全員の氏名を記した名簿を教会長にお届けし、教会で頂いたご神米を、後日、お守りとして生徒に手渡しています。また、受験の時期になると、子どもたちと一緒に教会へ参拝し、合格成就に祈りを込めるのです。
 このように、和美さんが子どもたちの立ち行きを祈りながら教会参拝を続ける背景には、亡き母の姿があるといいます。

 和美さんの母親は、女手一つで二人の子どもを育てました。和美さんは、その母親が信心を支えとして一生懸命に生きる姿を見て育ちました。
 母親は、小学校の教師で障害児学級を受け持っていました。障害を持つ子どもたちに、神様と出会って助かってほしいと、教会の大祭に子どもたちを連れて参拝していました。
 宗教に何かとうるさい今日では、なかなかできることではありませんが、当時でも信念がなければできないことです。
 和美さんの母親は、教会の行事には必ず参加していました。初めて参拝してきた方に、いつも優しく声を掛けて緊張をほぐすように気遣うなど、その人柄への信頼は厚く、教会の信者さんから慕われていました。
 和美さんが結婚する時のことでした。母親は和美さんの夫となる人に、「娘は教会から離れると駄目になるので、教会参拝だけは続けさせてやってください」と願ったのでした。その後、和美さんの夫も熱心に信心をするようになりました。
 そんな母親でしたが、急性白血病にかかり、51歳で急逝したのです。その早過ぎる死を、誰もが惜しみ悲しみました。

 和美さんは、生前、母親から言われていた言葉を、事あるごとに思い出しました。
 「母さんは、これといって何も残す財産はないけれど、金光教の信心が、あなたの人生の宝となるようにしたい」
 そう願っていた母親の深い祈りに導かれるように、和美さんは母の死後も信心を続けました。
 そして日が増すにつれて、生前の母をしのび、感謝の気持ちを深くしていった和美さんは、自分も母親の跡を歩ませてもらおうと思い立ち、母親が発案した教会の機関紙の編集を引き継ぐことを願い出、さらに、典楽のご用にも当たるようになりました。
 最近では、母親をよく知る教会の信者さんから、容姿や人柄がだんだん母親に似てきたと言われます。
 和美さんはまた、英語教室の生徒だけでなく、友人や知人の身の上に何か問題が起きると、教会へ参拝してお結界でそのことをお届けし、その人たちの立ち行きを祈るように努めています。

 この道で助かっている自分ですから、そのご恩に報いる意味でもお役に立たせて頂き、教会でもらうエネルギーを少しでも社会に還元できたら、と願っています。生徒や友人、知人にご神米を手渡していますが、そうしたことを通して金光教はいいな、教会は良い場所だな、と思って頂けたらありがたいです」。そう話す和美さんは、亡き母が、周囲の人の助かりを一心に祈り続けた姿を自分の生き方に重ねながら、一層神様に心を向けていきたいと願っています。
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投稿日時:2010/08/19 09:25:26.601 GMT+9



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