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教主選挙と推戴について

金光教報 『天地』 2月号巻頭言

 本部広前では、信行期間に当たり、「教主金光様ご神勤二十年を頂く─『神人の道』実現を目指して─」とのテーマのもと、1月4日から31日まで、朝の教話に取り組んだ。
 いよいよ今月15日には、教主選挙を迎えさせていただく。本教を統理くださる方を、選挙という形をもって推戴し、そのご承諾によって教主にご就任いただくのである。この方法は、本教百五十年の歴史のなかで、先人諸師のご信心によって生みだされてきたものであり、一般のように選挙によって当選者を選び、その人に組織の責任を委ねるということとは根本的に違っている。
 この道の教主選挙とは、教祖様に始まり、歴代金光様がその生涯をかけて受け継ぎ現してくださった生神金光大神取次の道に生かされているわれわれ一人ひとりが、「この方に教主としてお立ちいただき、本教を統理していただきたい」との願い、祈りを込めさせていただく選挙である。いわば、お道の信心をさせていただく者としての願いの表明、信心の表白と言ってもよいであろう。
 教務総長は、昨年の第45回通常教団会で、「選挙をもって教主推戴のことを取り運ばせていただくことになります。全教の願いを選挙という形で現し、その願いをもって、推戴の運びをさせていただくのであり、それは同時に、私どもはこのことにどのような願いと心構えをもって臨まなければならないのかを自らに問い、そこを明確に求めていく営みでもなくてはなりません。すなわち、金光様のお徳とご内容を各自が頂き、もって教団の基礎に培うことが『推戴』の基盤になるのであり、これなくしては、形だけの選挙ともなりかねません。…端的に申せば、現代における『教祖生神金光大神取次』の第一の体現者として、また『教祖の信心』の承継者として、そのお働きとお徳をもって、教団を一つに治め、まとめていただくことが願われているのであります」と、教主選挙についての願いを述べている。
 本教における教団統理者選出の制度は、過去の歴史のなかで、種々の変遷を重ねてきた。名称については、明治33年の教団独立によって「教長」から「管長」となり、一時は「世襲」と定められた時期もあったが、昭和21年教規で「管長」から「教主」へと改められた。また、選出制度については、昭和16年教規で世襲から選挙へと改められ、昭和21年教規では「選挙シ之ヲ推戴す」とされた。その後、昭和29年教規で、「推戴は、教会長の選挙により、当選人の承諾によって決定する」と規定し直され、現行の平成10年教規でも同様に規定されている。
 そのなかで一貫して確認されてきたのは、教祖様が立教神伝を受けられて本教が始まったことと、教祖様の子孫で教祖様の信心を承継し、また、教祖様の御取次の業を伝承して、教統を保全するに足るべき方を教団統理者として頂くということであろう。そのことが現行教規では、「本教は、天地金乃神が、神と人とあいよかけよで立ち行くあり方を世界に実現するため、教祖生神金光大神に取次を頼み、教祖がこれを受けたことに始まる」および「教主は、教祖生神金光大神取次の業を伝承し、教統を保全する」との規定をもって表されている。
 このたび新たに教主を推戴させていただくということは、われわれ本教信奉者全体が、あらためて教主の御取次を頂いて助けられていき、育てられていくことを、一段とはっきり進めさせていただくことである。しかし、それだけでは足りない。
 そもそも選挙によって推戴されることになった方が、教主に就任されることを承諾されるということは、神様のお頼みを「仰せどおり家業をやめて、お広前相勤め仕り」とお受けになった教祖様と同様にお進めくださることなのである。ただ、教会長による選挙の結果、教主たることをお受けになるというのではなく、そこに神意をお受けになって受諾なさるということであり、それゆえ、教主を選挙させていただく教会長も、そこに神意を受けてのことでなくてはならない。そのような生神金光大神取次の発動によって、教主選挙と推戴のことが取り運ばれなければ、それは単に人間的な思いだけのことになってしまうのである。
 もとより歴代内局は、このような確認のもと、教主の選挙推戴のことを本教の根幹に関わる重大なこととして受け止めてきたし、先ほどの教務総長説明でも、そのことを踏まえての願いが述べられていたのである。
 このたびの教主選挙を、単なる選挙と受け止めることなく、どこまでも教主金光様のお徳とご内容を頂き、もって教団の基礎に培うための大切な選挙であるとの自覚と願いに立って、おかげをこうむらせていただきたい。

投稿日時:2011/01/31 14:55:17.888 GMT+9



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