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青年に響いたものとは 【金光新聞】

どういう意味ですか?

 「あれって、どういう意味ですか?」。2年前のある日、私が奉仕する教会へ荷物を運んできた宅配便の青年が、玄関の一点を指さしながら、そう尋ねてきました。
 その青年が言う「あれ」とは、金光教の前教主・四代金光様の「ありがたい勿体(もったい)ないといふ言葉豊かさになれ忘れてはならぬ」というお歌でした。
 教会では5年前から、入ってこられる方々の目に留まるようにと、玄関に四代金光様のお歌を紙に書いて張り出しています。私たち信奉者が大切な教えとして頂いているお歌を通し、目にした人が少しでも何かを感じ取り、助かりにつながればと願い、掲げているのです。
 しかしそれまで、お歌の意味どころか、紙を張っていることにさえ関心を示す人はいませんでした。

 そうした中、その青年からの問いは、ありがたくありつつも、あまりに突然のことで、「まさかこんな若い人が尋ねてくれるなんて」と、一瞬びっくりし、私は少しの間、言葉が出ませんでした。
 しかしすぐに、心の中で「ありがとうございます。どうぞ、少しでもお役に立たせてください」と神様にお願いしながら、「今の時代は、とても豊かで便利になった一方で、皆、物を大切にしなくなり、ありがたいとか勿体ない、ということを考えなくなってしまいましたね。でも、豊かさや便利さに慣れて、大切なことを忘れてはいけないと思います」と、話を始めさせて頂きました。
 ところが話すうちに、なぜか青年にではなく、自分自身に言い聞かせているような気がしてきたのです。「ありがたい」と口にはしますが、ありがたいと思った直後に、不平や不足の言葉が口をついて出ることもしばしばです。
 「勿体ない」と言いながら、水や電気、ガスなどに、毎日、心からお礼を申し、粗末にならないように使わせて頂いているだろうか。私自身が大切なことを忘れてはいないだろうか、と自分に問い掛けながら、話を続けました。

信心のけいこ

 しばらく話して、ふと見ると、青年は大きくうなずいてほほ笑み、「本当にそう思います。みんな忘れています。ぼくも忘れています」と言い、「ありがとうございました」と元気な声を残し、走って出て行きました。
 「青年は、どういう思いでお歌を見たのだろうか。何か悩みでも抱えていて、お歌が目に留まったのか、それとも、『何だろう、これ』というぐらいの、軽い気持ちだったのだろうか」。そんなことを思いながら、しかし、青年は来た時よりも元気に帰ったように、私には見えました。

 青年の爽やかな後ろ姿を見送りながら、私は、あのような説明で青年の心に何か響くものがあったのだろうかと、心もとなさを覚えました。それでも、少しはお役に立てたかも、と思うと、とてもうれしくてありがたい気持ちでいっぱいになりました。
 と同時に、この青年は、私のために神様がお差し向けくださったのかもしれないという気がしたのです。
 青年と出会えたことで、私も自らの手元を見詰め直し、大切なことに気付かせて頂くことができました。あらためて、一層「ありがたい」「勿体ない」という言葉、そして、お礼と喜びの心を忘れないよう、信心のけいこをさせて頂きたいと思います。




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メディア 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2012/05/16 15:55:27.118 GMT+9



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