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共に生き、共に助かる

金光教報 『天地』 7月号 巻頭言

「天地のなかで生かされて生きている者として、『共に生きる』『共に助かる』という考え方を大切に、特に飢餓や貧困や病気などに苦しむ人々や、社会的に弱い立場にある人々のことに思いを馳せ、国の内外の人と人とが、互いに神の子として、国籍、人種、言語などを超えて、共に生き、共に助かって、世界に真の平和と繁栄がもたらされることを、心新たに願わずにおれません」
 これは、平成5年の年頭ラジオ放送で、教主金光様がお示しくだされたお言葉である。教祖様が明治元年に神様から頂かれた、「天下太平、諸国成就祈念、総氏子身上安全の幟染めて立て、日々祈念いたし」というお知らせを、教主金光様が今日に頂き直してお示しくだされたものと拝察させていただき、そのおぼしめしは、教祖様以来、歴代金光様のご祈念のご内容であり、この道の信心の大切な中身となっている。そのことが、昨年の3月11日に起きた東日本大震災における本教の救済活動でも、信心実践として求められ、進められた。
 かつての阪神淡路大震災では、ボランティア活動への関心が高まり、日本全国から多数のボランティアが被災地に赴き、本教からも多くの方々が救援・復興活動に参加した。今回の東日本大震災では、その時に蓄積されたノウハウをもとに、すぐに少年少女会連合本部や、金光教首都圏災害ボランティア機構、大阪災害救援隊など多くの方々が救援活動に参加してくださり、現在も続けられている。誠にありがたいことである。
 しかも、それらの団体の救援活動を見て思うことは、その活動の根底には、「困っている人々を助けたい」というボランティアの心を含みながらも、それにとどまらず、教主金光様のお示しくだされた「互いに神の子として」「共に生き、共に助かり」の心が、その中心にあるということである。
 そこには、「人間は人を助けることができるのはありがたいことではないか。牛馬はわが子が水に落ちていても助けることができぬ。人間は病気災難の時、神に助けてもらうのであるから、人の難儀を助けるのがありがたいと心得て信心せよ」という教祖様のみ教えと、そのみ思いを受けられての歴代金光様のご内容が、この道の大切な信心の中身として、脈々と受け継がれている。難儀をして困っている人を助けることが、自らの助かりになり、そのことが神様のお喜びくださることになっていくのである。
「金光教は、困った時に避難者を地域ごと引き受けてくれ、丸ごと助けてくれた。そして、寄り添って助けてくれた。金光教は、最初から最後までずっと、そばに寄り添って支援してくれた。今は、お礼の言葉もない」。これは、本教のボランティア活動が行われた地域の町内会長が、避難所を代表して語った言葉である。その時の活動の様子が思わされ、「共に行き、共に助かる」ことを願いとして、取り組んでいくことの大切さを思わせられる。

 昨年、もう一つの取り組みがあった。例年開催してきた「教師子弟のつどい」を、フィリピンスタディツアーとして行ったことである。故佐藤光俊教務総長の「これからの本教を担う高校生年代に、今の世界の難儀、人間の難儀を感じてもらい、将来のご用に生かしてもらいたい」との強い願いで実施された。
 参加した高校生たちは、貧富の格差、人権、差別といった難儀の根深さに強烈な印象を受けるとともに、未来を見つめて懸命に生きる現地の子どもたちの姿に、「共に生き、共に助かる」ことの意味を真剣に求めるようになったという。

 現在、世界には、貧困、飢餓、人種間・宗教間の紛争、差別などの問題が山積している。「互いに神の子として、国籍、人種、言語などを超えて、共に生き共に助かって、世界に真の平和と繁栄がもたらされることを、心新たに願わずにおれません」。この教主金光様のおぼしめしを、あらためて頂き、信奉者一人ひとりが「共に生き、共に助かる」ためのご用にお使いいただきたい。




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メディア 文字 金光教報『天地』 

投稿日時:2012/07/09 13:42:12.357 GMT+9



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