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岳父に学んだご用姿勢【金光新聞】

教会に風呂ができる

 私(55)が生まれ育った教会には、長らく家風呂がありませんでした。小さいころから近所の銭湯に通い、結婚してからは足が不自由になった父を伴って銭湯に行っていました。
 家風呂で育った妻には、慣れない銭湯通いでした。やがて、妻は第1子を身ごもり、数カ月後には出産を控えていました。
 そんなある日、九州の岳父から電話があり、「教会の隅にある一坪足らずの土地に風呂を建てたいと考えているので、土地の寸法を正確に測って知らせるように」と言われたのです。私はすぐにその土地の寸法を測りながら、教会に風呂ができると思うと、うれしくてなりませんでした。

 岳父は金光教の教会長で、建築は素人ですが、親教会の普請などを手伝ってきた経験があり、私が知らせた寸法を基に建築に必要な資材をそろえるなど、1週間という限られた日程の中でこの建築が完了するよう、入念に準備を進めました。そしてその年の3月8日、岳父は建設業に従事する長男と、当時大学生だった三男を伴い、軽トラックに風呂釜などの資材を荷台いっぱいに積んでやって来ました。岳父は、私の父である教会長へのあいさつを終えると、すぐに工事に取り掛かりました。
 工事が始まると、近所のご婦人が庭に出ていた私の父に、「お風呂ができるんですね。よかったですねえ」と声を掛けました。この時父は、「これで嫁に不自由を掛けずに済みます」と言いました。他日、妻もそのご婦人から同様のことを言われた時、「お義父さんに家でゆっくりお風呂に入ってもらえます」と話していました。
 そうした会話を耳にして、私は教会に風呂ができることがうれしいばかりで、父や妻のような思いには至っていなかったことを恥ずかしく思いました。

神様が喜ばれる尊い生き方とは

 ところで、連日夜遅くまで工事は行われましたが、予定していた期限内に完成せず、1日延長となりました。そして、延長のその日も、日没後まで工事は続けられました。
 そんな中で、岳父が長男を叱る声が聞こえてきました。長男は遅くまで続いた連日の作業で疲労がピークに達していたのでしょう。ふてくされている様子の長男に岳父が、「これはお金をもらってする仕事じゃないぞ。それ以上に尊いご用なんだぞ」と言い聞かせていたのです。その言葉に、私は思わず手を合わさずにはおられませんでした。
 そうして風呂場が完成したその夜、私たち夫婦に岳父が「このたびの建築は、あなた方が結婚した時から願っていたことで、その時節を頂いてできた。だが、これは娘のためでも、生まれてくる孫のためでもない。銭湯へ行くのが大変になられた教会長に、ゆっくりと教会でお風呂に入って頂きたいと願ってのことで、そこを間違わないでほしい」と言いました。

 翌日、岳父はお結界の私の父に、「このたびは、願いをお聞き届けくださり、ありがとうございました。騒音や振動でご迷惑をお掛けしましたが、お風呂が出来上がりました。どうぞゆっくりご入浴ください」と、お礼を言われたのです。
 私はこの建築を通して、願いの掛け方や時節を待ち願うこと、建築の姿勢など、信心に基づくご用とはどうあればいいのか、神様が喜ばれる尊い生き方とはどういうものかを教えられたのです。
メディア 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2014/10/27 14:13:47.173 GMT+9



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