title.jpg

HOME › 「神様は無駄事をなされない」

「神様は無駄事をなされない」

中村 清一(宮崎・小林)

 私は大学生の時に、悩みを抱えていた時期がありました。誰にも相談せず、悶々としている最中、教会から一冊の本が送られてきました。それは、四代金光様のお取次の内容などが書かれた『生きる力の贈りもの』という本でした。
 時々、両親から御神米や手紙と一緒に、教内の冊子が送られてきましたが、いつもは本棚に並べているだけでした。しかし、その時はそのような状態もあって、手に取って読んでみました。
 すると、物事のとりこになっている自分の姿や、できていないことばかりを見ていた姿など、自分に当てはまるようなことばかりで、この本のような生き方ができれば楽になるのではないかと思い、もっと金光教を知りたくなり、学院への入学を志しました。
 今では、その経緯の一つひとつが、神様や金光様、両親をはじめ、ご縁のある方々の祈りの中での出来事だったと思いますが、当時はそのような思いはなく、自分のことばかりに心が向いていたように思います。学院に入学した年が、ちょうどサッカーの日韓ワールドカップがあった年で、私が観たいのを知っていた父が、全試合を録画してくれていたのには驚きでした。
 あれから16年が経った今、一番、自分自身に迫ってきていることは、「神様から生かされて生きている」ということです。そのことをさまざまな出来事をとおして気付かされ、考えさせられ、実感し、喜びが増えてきました。
 まず、私にとっての大きな出来事は、私の出生に関わってのことです。母の胎内で命を授かって5カ月目のこと、それまで順調に育っていましたが、突然破水し、私の命がどうなるか分からないような状態になりました。流産すると私は当然、この世に生まれるはずもありません。両親は不安もある中、また祖母をはじめ、縁ある方々が、「どうぞ、この子が(神様の)お役に立つ子であるなら、命をお授けください」と懸命に神様に願ってくださいました。その祈りの中で、破水した母体の状態も回復し、その後は順調に母の胎内で育てられ、少し小さかったそうですが、私はこの世に生を受けました。
 この話は、小さい頃から、母親にたびたび聞かされてきました。小学校の作文に、医師や看護師さんに助けてもらったということを書いたのを覚えていますが、当然実感もありませんし、ましてや、その時の両親の気持ちがどうだったか、両親の信心がどういうものだったのかなど考えることはありませんでした。

続きはこちら → 「神人あいよかけよの生活運動」ページ

投稿日時:2019/03/07 08:00:00.000 GMT+



関連記事
このページの先頭へ