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「神様のおかげの中で」

千種 敏行(福岡・二日市)

 私自身の「神人あいよかけよの生活運動」は、平成11年3月1日、前教会長であった父のお国替えから始まったように思います。それは、私がお道の教師を拝命して27年目のことで、教会長として任命を受けたのですが、形だけで中身のないのが実態でした。教会は、布教85年の御年であり、翌年には開教85年の記念大祭をお仕えすることになっていました。
 翌年2月末日に、前教会長の1年祭をお仕えし、11月には記念大祭をお迎えするという、私にとっては非常に慌ただしいスケジュールで、期日が迫って来るほどに、言いようのない不安に襲われ、心配は募るばかりでした。
 そのような中で、あっという間に記念祭当日の朝を迎えました。ご祈念を終えてお結界に座らせていただいた時、ハワイから帰ってきていた姉が、お結界でお届けを済ませた後、「あなたがご霊前でご祈念している時、その背後にお父ちゃんとお母ちゃんがおったよ」と教えてくれました。それを聞いた途端、心の不安がどこかへ消えていきました。今までは、「あれもしなければ」「これもしなければ」「自分が、自分が」という気持ちだけで、実際には何もうまくいかずに気持ちだけが焦っていました。そんな時に、姉から聞いた言葉は、まさに御霊様である父の声に思えたのです。「そうだ、皆さんが御用してくださっている。何よりも御霊様が、そばに付いておられて見守ってくださっている」と強く感じ、元気を頂いて、何とか記念祭をお仕えさせていただくことができました。
 当時の私は、教会長の役割に責任を感じながら、お取次の何たるかも分からず、形だけの信心のありようであったと、今思わせられます。私はこの体験をとおして、本気でお取次を願い、頂くことによって、神様のおかげにめざめるということ、私の実感から言いますと、わが心の神様にめざめるということになりますが、その一端に触れて、心から「ありがたいなあ」と感じさせていただきました。
 当時は、「どうしたら信者さんを助けられるのか。おかげが頂けるのか」ということばかりが問題になり、その答えを探し求めていたように思います。そこには、自分自身のお礼と喜びの信心生活はありませんでした。そんな私の大きな信心生活の転機になったのが、開教85年の記念祭であったように思います。

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投稿日時:2018/10/23 09:00:00.000 GMT+



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