title_02.jpg

HOME › 「神様あっての私、神様にとっての私」

「神様あっての私、神様にとっての私」

谷口 信一(兵庫・尻池)

 小学3年生の夏のことです。学校を終え、そろばん塾に向かっている途中に少し時間があったので、一人で裏山に遊びに行きました。
 すると、土手から草のつるが垂れているのが見え、それを伝って下に降りてみようと思い立ちました。崖の淵にしゃがみ、つるをつかんで降り始めたその時、ブチッという音を立ててつるが切れ、2メートルほどの高さから真っ逆さまに落ちてしまいました。
 それから左腕がジンジンと痛くなり、痛みはどんどんひどくなっていきます。後で分かったのですが骨折していました。左腕を抱えながら、ボトボト歩いて家に向かうと、同じそろばん塾に通う子たちとすれ違いました。私は必死で痛みをこらえ、左腕を抱えながら無様な格好で歩いていたと思います。恥ずかしさと痛みでいっぱいの苦しい気持ちをこらえながら、恐る恐る家に向かいました。
 家が見える所まで来ると、家の前で母親が近所の人と立ち話をしているのが見えました。私は「あともう少し」と懸命に母親に向かっていきました。すると私に気付いた母親が、「どうしたの?」と声を掛けてくれました。私はこらえられなくなって、泣きながら母親の胸に飛び込んで行きました。
 あれから40年が経ちますが、今でもありありとその時の情景を思い出すことができます。それは腕を骨折した痛みだけではなく、私を抱きかかえてくれた親の温もりが今でも残っているからでしょう。もしもあの時、母が子どもの骨折におどおどして心配したり、「なんでそんなことしたんや」と叱られていたら違っていたかもしれませんが、「大丈夫やで」と安心を与えてくれ、しっかり受け止めてくれたからこそ、この出来事が事あるごとに思い出され、温かい気持ちになれるのだと思います。
 私は、優しく包んでくれる親の愛情をとおして、命の根源である親神様、天地金乃神様に巡り会う受け皿を作ってもらったと思っています。


続きはこちら → 「神人あいよかけよの生活運動」ページ

投稿日時:2018/09/20 09:00:00.000 GMT+



このページの先頭へ