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入れてもらえる高校へ【金光新聞】

子どもの進路の行方に不安を抱え

 私(62)には、3人の子どもがいます。それぞれの子どもの進学について考える時期になると、そのたびに教会へお参りし、お取次を頂くことを心掛けてきました。
 そのようにさせて頂くことで、上の2人の子は志望校がすぐに決まり、すんなりと進路が定まっていきましたが、末っ子の高校進学の時には、願書の提出締め切りが近づいてもなかなか志望校が決まりませんでした。
 不安な日々を送る中、ふと、私の母が30年ほど前に書き残していた文章のことを思い出しました。それは母が信奉者向けの冊子に投稿したもので、主に兄の高校時代について書いてありましたが、私たちきょうだいのうち、誰かの高校受験の話にも触れられていたことをなぜかよく覚えていました。
 私は本棚からその冊子を探し出し、あらためて読み返してみました。すると、それまで付け足しくらいにしか思っていなかった受験の話は、実は冒頭に書かれており、母にとっては大問題だったのだと分かりました。そして、よく読んでみると、その話は紛れもなく私自身のことでした。

 当時を思い出すと、私は受験先を最終的に決めなくてはならなくなった時、担任の先生から「第1志望校は今の学力では難しいので、第2志望校にしなさい」と言われました。
 私は、学費のこともあり、担任の勧めに従おうと思っていましたが、母は大学への進学や私の将来のことまで考えて、少しでも学力の向上が見込める第1志望の私立高校に進むことを望んでいたようでした。しかし、「第2志望校でも何とかなるだろう」と、軽く考えていた私は、母の思いや心配など知る由もありませんでした。

私にとっての信心の手本

 冊子の母の文章には、「幾人目かの子どもの時、願書締め切り日の間近になっても受験校が選定できず、思い余ってそのことを先生にあらためてお届けしにお参りさせて頂いた」とありました。常日頃から教会の先生のお取次を頂くことを大切にしていた母でしたので、その時もバスと電車を乗り継ぎ、2時間ほどかけて参拝したのでしょう。
 そして、教会の先生に、子どもの将来を心配して悩んでいることを、涙をこらえ、事細かくお届けしたところ、先生はただ一言、「入れるところへ、入らせて頂けばよろしい」と仰せになったそうです。その言葉に先生の祈りの確かさを感じた母は、それまでの不安、迷いが断ち切られ、自信を持って第2志望校に願書を提出できたと書いてありました。
 今、まさに母と同じ立場となったことで、その当時、母が私に懸けていた願いの強さというものを知らされました。
 その時の母の祈りの深さを思う時、ここに私にとっての信心の手本があると感じた私は、すぐさま教会へ電話をかけて「高校を受験する年齢にまでお育てを頂きありがとうございます。将来、人のお役に立つ人間になるために、入れてもらえる高校へ進ませてもらえますように」と、心新たにお届けさせてもらいました。
 
 それを機に、不安な気持ちは消え、受験に関しての一つ一つのことに正面から取り組んでいく腹が決まったように思います。
 その後、末っ子は無事に高校へ進み、友人らにも恵まれ、さまざまなお役にも引き立ててもらいました。今は、社会福祉士を目指し、大学で勉学に励んでいます。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

(「心に届く信心真話」金光新聞2016年1月3日号掲載)

メディア 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2017/05/08 09:00:00.000 GMT+9



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