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父の祈りがあってこそ【金光新聞】

夢を追いかけて

 私(33)の父は、熱心な金光教信奉者の家庭に生まれ、名門大学を卒業して周りの人が将来を嘱望する中、金光教教師を志しました。結婚後は後継者のいない教会に夫婦で養子入りし、3女を授かりました。長女の私は、温厚で信者さんから慕われる父が誇らしく、幼いころから教会活動に積極的に参加しながら育ちました。
 そんな私には美容師になるという夢があり、高校卒業後、「都会の美容院に就職したい」と父に願い出ました。すると、いつもは穏やかな父が猛反対し、「神様のご用をしてほしい」と言うのです。しかし、私は諦め切れず、「私の人生は私が決める」と言い20歳の時に教会を出ました。
 美容師の仕事は見た目の華やかさとは裏腹に、朝から晩まで休みなく、閉店後も深夜まで練習するという厳しい世界でした。同期で入った仲間は次々と辞めていきました。それでも私は大好きな美容師の仕事を続けて、早く一人前になろうと頑張りました。
 休暇は盆と正月だけでしたが、毎回実家の教会に帰りました。しかし、家族と楽しく過ごしたいと思っていても、いつも父は「いつになったら教会に帰ってくるのか?」と言います。私の努力が認めてもらえないように感じ、父と会うたびに口論となり、顔を合わすのが憂鬱(ゆううつ)になっていきました。とはいえ、仕事面ではお客さまから指名が頂けるようになるなど、充実した日々を過ごしました。

 そんな父へのわだかまりを持ったまま、数年が過ぎました。ある日、久しぶりに帰省した私が目にしたのは、広前でご祈念する父の後ろ姿でした。幼いころから見慣れた姿なのに、白髪が増えて背中が小さくなったように見えたのです。私は胸が締め付けられ、何か親孝行になることをしたい、との思いに駆られました。 
 それ以来、私は帰省のたびに家族の散髪や家事などを手伝うよう努めていました。しかし、父はそのことをあまり喜んでくれず、「あなたの気持ちはうれしいが、神様のご用に使って頂く以外に親孝行はないのだが…」と寂しげに言ったのです。私はショックでしたが、父がそこまで言うのならばと、美容師を辞めて金光教学院(金光教の教師養成機関)に入学しました。

父から受け継いだ祈りのバトン

 学院では毎日、神様に心を向ける稽古に励んでいました。そうした中で、同期生の女性が悪性リンパ腫であることが分かり、休学して治療に専念することに
なったのです。私は彼女が助かるように日々祈りました。しかし、次第に祈ることしかできない自分をもどかしく感じるようになりました。そんな時、ふと美容師時代に父が何度もくれた手紙のことを思い出しました。いつも最後に「ご祈念しています。父より」と書かれていました。
 そして、あの時美容師を続けることができて、今こうして私があるのは、父が祈っていてくれたからだと気付いたのです。そう実感すると「祈れること」が何よりありがたくなり、これまでにないというくらい、彼女のことを一心にご祈念できたのです。

 その後、彼女は神様のおかげを頂き、奇跡的に回復しました。
彼女の助かりを願っていく中で父の祈りを実感し、「人の助かりを祈る」大切さに気付きました。私も父から受け継いだ祈りのバトンを次代につないでいけるよう願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」2018年5月6日号掲載)
メディア 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2019/07/03 09:11:34.936 GMT+9



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