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責める心は自分に返る【金光新聞】

かわいそうに思って

 2年前の夏、子どもが入っていた少年野球で知り合ったAさんという女性が私 (46)を訪ねてきました。彼女は「今日はちょっと頼みがあって…」と神妙な面持ちで話し始めたのです。
 聞くと、今朝Aさんの自宅に空き巣が入り、財布が盗まれてしまったとのこと。さらに今日が息子さんが通っている予備校の授業料支払日で、払うお金が無く困っているということでした。続けて彼女は「少しお金を貸してほしい」と申し訳なさそうに言いました。
 私は驚いて「災難だったね」と3万円を手渡すと、彼女は「ありがとう。来週返すね。野球で一緒だったBさんとCさんにもお願いしてくる」と言って帰っていきました。
 そして翌週、Aさんは約束通り、お金を返しに来てくれました。

 ところが、 その日から1カ月もたたないうちに再び彼女が訪ねてきました。今度は 「父の会社が事業に失敗したの。今月中には返すから、またお金を借りたい」と言うのです。私は少し疑問を抱きつつも、前回と同じ額を渡しました。
 しかし、翌月になってもお金を返しに来ません。私の不安は、日増しに大きくなる一方です。
 そんなある日、出先でBさんとばったり会いました。Bさんは私を見るなり「ねえ、Aさんが訪ねてきたでしょ」 と言い、私と全く同じ状況に加え、Aさんとは連絡がつかないことも教えてくれました。「きっと私たちはだまされたのよ」。そうBさんは言いました。
 もしやと思い、Cさんに電話をかけてみると、Cさんは「私も貸したけど、まだ返しに来てないのよ。お父さんの会社、今も大変なんだろうね」と、Aさんとご家族のことを心配していました。

彼女を祈る気持ちになって

 ついに、居ても立ってもいられなくなった私は、普段お参りしていた金光教の教会で、胸の内を聞いてもらうことにしました。話し終えた私に、教会の先生は「あなたは初め、気の毒に、かわいそうにという優しい思いからお金を貸してあげたのでしょう? その思いを神様も受け取られていますから、まずは神様にAさんの助かりを願ってあげることが大切ですよ」と言ってくれました。
 その言葉を反すうするうちに、私は自分の思いばかりが先立って、相手のことは何一つ願えていなかったことに気が付きました。今回、Aさんに貸したお金は、成人式を2年後に控えた娘のために、こつこつためてきたものでした。その大事なお金が返ってこないことから不安が先立ち、Aさんの立ち行きを祈る気持ちがどこかに行ってしまっていたようです。
 そこに気付くと、「本当に最初から、だますつもりだったのか、やむにやまれぬ事情で連絡が取れなくなったのかは分からないけど、今、彼女がつらい思いをしているのなら、どうか安心して暮らせますように」と、彼女を祈る気持ちが生まれ、不安だった思いも次第に晴れていきました。

 そして今年、娘は無事に成人式を迎えました。娘の見違えるような晴れ姿を眺めていると、「もしもAさんを責める気持ちのままでいたら、私はこんなにも晴れやかな心で今日を迎えられていただろうか」と思います。
 きっと神様は、この出来事を通して、相手を責め、自分の心までも苦しめていた私に、人を祈ることで自分も助かっていくことを教えてくださったのでしょう。
 どんな時でも、人を思い、祈ること。このことを忘れずにしたいです。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

(「心に届く信心真話」2018年8月5日号掲載)
メディア 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2019/08/14 05:00:03.380 GMT+9



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