結婚してから
「今思うと、親の薦めとはいえ、あの時は若さと勢いだけで結婚したような…」私(65)は、ゆっくりと温かいお茶を飲みながら昔を思い出しました。
看護師をしていた私は、20歳の時、性格も考え方も全く知らない男性と結婚し、2人の息子を授かりました。すくすく育っていくわが子は本当にいとおしく、まるで宝物のようで毎日幸せでした。
とはいえ、仕事と子育てに奮闘する日々の中で、私にはどうしても夫の性格で受け入れられないところがありました。夫には家庭的な温かさがなく、優しい言葉を掛けてくれることもほとんどなかったのです。
長男が小学校入学を迎えた頃、私たち家族は他県の山村にある夫の実家に引っ越しました。農業を営んでいた病弱な義父に代わって、義母が家計を支えていました。
義母は、自身が大変な中でも、いつも金光教の教会にお参りし、義父の健康回復をお願いしていました。私も一緒にお参りするようになると、息子たちも教会の子ども会に参加するようになりました。
しかし、皆が田舎での生活に慣れる中で、私はなかなかなじめずにいました。毎日、必死で家事、育児、農業の手伝い、義父母の世話をするものの、夫の実家では、嫁は〝労働力〟〝子どもを生むための存在〟としか見られていないようにも感じ、やりがいが感じられる看護師の仕事を再開することにしたのです。
しかし、仕事を始めると、忙しさはさらに増し、体力的にも限界で、私はあまりのつらさに、教会の先生に苦しい胸の内を聞いてもらうようになりました。
夫にも頼れず、抱えていた思いを言葉にすると、涙がこぼれました。先生は「大変でしょうが、信心辛抱ですよ」と、励ましてくれました。その言葉と先生の優しい表情、そして、頭に浮かんだ息子たちのいとしい笑顔に、私は救いを感じていたように思います。
夫と離れて
月日がたち、義父母は他界し、息子たちも成長して家を出ると、夫と二人だけの生活が始まりました。すると、夫は嫉妬深くなり、たびたび暴力を振るうようになったのです。
3年前の9月、ささいなことから逆上した夫は、はさみを手にしました。「ジャキッ」という音とともに、私の髪の毛を切り落とし、はさみから身を守ろうとした私は、指までも負傷してしまいました。
私は着の身着のままで家を飛び出しました。そして教会の先生に、私の出身地にある教会を紹介してもらいました。その街には、次男家族も住んでおり、次男が私と夫の間に入ってくれ、離婚することができました。
今、私は次男家族の家の近所に部屋を借り、かわいい3人の孫の世話をしながら、毎日笑って幸せに暮らしています。
思い返せば、いろいろなことがありましたが、私を助けてくれた神様、苦悩する私に寄り添い、立ち行きを祈ってくださった教会の先生との出会い、宝物の子どもたちをはじめ、多くの大切な人との出会いを頂いた日々でした。
苦しいことがあっても〝大切に思えるもの〟〝大切に思ってくれる人〟がいれば、どんな時でも、今を生きていく力になるのでしょう。
「信心辛抱」それは、神様からの「希望を捨てないで」というメッセージなのかもしれません。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。
(「心に届く信心真話」2018年10月7日号掲載)
投稿日時:2019/10/30 11:37:15.838 GMT+9