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置かれた場所で土になる

藤井雅孝(香川・陶)

 この原稿の締切がちょうど5回目の結婚記念日でした。当時のことを思い返すと、今の生活がとても感慨深く思えます。というのも、私は教会で生まれ育ちながら、平成25年に金光教学院に入学するまで、信心のない生活をしており、神様の御用をさせていただくようになるなど、想像もしていなかったのです。困った時の神頼みしかしてこなかった者が、今では毎日幸せを感じながら教会で生活をさせてもらっている。そんな私自身の歩みをあらためて振り返りたいと思います。
 ここまでの人生を少し思い返すだけでも、登校拒否、浪人、留年、心の病など、難儀のデパートのような人間でした。どれだけの人に心配と迷惑を掛けたことでしょう。25歳で何とか大学を卒業した頃は、人間関係の悩みから精神が衰弱していました。人と会うことが怖く、電話さえも極度の緊張に襲われてできないような状態です。病院に行っていれば病名が付いたかもしれませんが、病院さえも行くことができませんでした。
 ですから、大学卒業後は数カ月間、何もすることができず悶々としていましたが、周りの同世代は社会で活躍し、結婚や家の建築といった人生の大きな節目を迎えています。「今変わらなければ、一生このままだろう」と意を決し、社会と関わることを考えました。かといって、当時の自分にとって正社員として働くことは、ハードルが高すぎると感じていました。そんな時、ふと手に取ったチラシの求人欄が目に入りました。教会から10分程の製麺工場の募集で、そこに書かれていたのは、「週2~3日から、1日3~4時間程度の誰にでもできるお仕事です」とありました。勇気を振り絞って電話をかけ、面接を受けて、翌日から勤務することが決まりました。
続きはこちら → 「神人あいよかけよの生活運動」ページ

投稿日時:2019/11/07 10:42:25.675 GMT+9



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