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全ておかげの中での事【金光新聞】

突然の出来事

 私(90)が金光教にご縁を頂いたのは、嫁ぎ先の義父母との出会いからです。義父は教会で信徒総代のご用を頂いていて、祭典日になると白衣、はかま姿でご用をし、義母は教会の婦人部で活躍しながら、祭典日には髪を結い、専用の羽織を着て近所の人を誘って参拝していました。
 終戦間もない頃、6人きょうだいの末っ子である夫と、20歳の時に結婚しましたが、夫は、戦後の混乱の中で定職に就けず、義父母の家の別棟を借りて生活をしました。義母は、嫁である私に優しく接してくれ、教会参拝を強いることはありませんでしたが、二人の参拝する姿をうらやましく思い、「私も一緒に参拝したい」と申し出ると、とても喜んでくれ、その日から毎日教会へ参拝するようになりました。

 その後、夫は私の実家の勧めで卸売業を始め、仕事は順調にいき、1男2女にも恵まれました。経済的には厳しかったのですが、お取次を頂きながら家計をやりくりし、念願の家を購入することができました。また、子どもたちは大学進学のおかげを頂きました。年の離れた末の息子が大学に進学して家を離れたのを機に、私は金光教本部への毎月の参拝と、年1回の修徳殿(※)入殿をさせて頂くようになりました。そのおかげで多くの信心友達ができ、本部参拝がとても楽しみになりました。
 息子は、大学卒業後、東京の企業に就職しました。本当に多くのおかげを頂き、将来が楽しみでしたが、30歳の時、交通事故で突然亡くなってしまったのです。後継ぎの息子を失った悲しみは深く、将来の希望を失った私は、その日から食事も喉を通らなくなってしまいました。葬儀を教会で行い、 息子の同僚や私たちの知人が大勢参列し、私たちを慰め、励ましてくださいました。

金光様のお言葉を胸に

 告別式が終わった夜、私たち夫婦は「金光様へお参りしたい」という思いが湧き起り、居ても立ってもいられず夜行列車に飛び乗り、ご本部に参拝しました。四代金光様に「息子は30歳まで元気で楽しい時を過ごさせて頂き、ありがとうございました」と、夫が精いっぱいの思いでお礼のお届けをすると、金光様はお結界から身を乗り出すようにして、「全ておかげの中での出来事じゃからのう。あなたの家の、これからの立ち行きを祈ります」とのお言葉を下さいました。
 夫は、「金光様が私たちのことをあのように願ってくださっている。ありがたいなあ。金光様から頂いた言葉を胸に刻んで、これから暮らしていこうなあ」と、私につぶやきました。夫の言葉に、私も金光様のお言葉をしっかり頂いていこうと心が定まりました。

 その後も、ご本部の月参拝と入殿を続け、多くの信心友達に支えられる中で、悲しみがだんだんと癒え、心が軽くなり、前向きに生きていこうと思うようになりました。そして、これまで幸せに過ごしてきたことも、息子を亡くしたことも、全ておかげの中での出来事として、受け入れられるようになりました。
 夫は12年前に脳梗塞で亡くなりましたが、夫の十年祭を機に、娘たちと相談し、わが家の永代慰霊を教会にお願いすることにしました。私は、「全ておかげの中での出来事」という言葉を、座右の銘として、この先も安心のおかげを頂いていきたいと思います。

*修徳殿=ご霊地で信奉者が信心研修を進める施設。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」2018年10月28日号掲載)
メディア 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2019/11/13 10:19:06.549 GMT+9



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