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生まれた時から「人を導く」実践者

小出雄三(福岡・大橋)

 平成24年に「神人あいよかけよの生活運動」が発足した当時、33歳だった自分は、「願い」の文言が長いなど、否定的なことばかり考えていました。それから8年、金光教教師のご任命を頂いてから、半分以上の年月を、この「運動」と共に過ごしてきたことになり、振り返ると、「運動」に取り組んで数々のおかげを頂いてきました。
 最初に、自分が「運動」に取り組もうと思ったきっかけは、失恋でした。その時、「やはり自分には神様しかいない」と思いました。そして、何か自分自身が成長しないといけないと思っていた時に、「願い」の文言に目が止まり、「ご祈念をしなければ」という思いになりました。
 その頃、ちょうどご本部で宿泊を伴う御用があり、金光様のお出ましと朝ご祈念を頂きました。けれども、心の中は「ありがたい」というものではなく、一言で言えば「こんなに頑張っているんだぞ」という幼稚なものでした。見た目だけは、さもありがたそうにお出ましを頂き、朝ご祈念には神前と霊前の中間のお広前の一番後ろに正座して臨みました。
 その時、自分のそばにあった最後列の椅子に、年配のご婦人が座っておられました。そのご婦人は神前拝詞が始まると、すぐに左右に揺れはじめ、後ろから見ても寝ているのは明らかでした。心に余裕のかけらもなかった自分は、「なんでこの人寝ているんだ。自分は真剣にご祈念している。視界にチラチラ入って邪魔しないでくれ」と怒りにも似た感覚でいました。次第にそのご婦人の揺れ幅が大きくなると、こちらも心配になってきて、「椅子から落ちそうなら助けなければ」と思うと、ご祈念そっちのけでご婦人の方ばかり見ていました。幸いにも落ちることはなく、神前のご祈念を終えての四拍手の時に、そのご婦人はスッと姿勢を正し、本当にありがたそうに拍手をされました。
 私は思わず、「寝とったやん!」と、心の中で叫びました。ありがたそうな格好だけで全然神様に向かってなかったのにと、その人を責める気持ちで心がいっぱいになっていました。
 ところが、心の中はそんな状態だったのに、そのご婦人を見ていた目から、涙がポロポロ溢れてきました。意味が分からず、「えっ? どうして」と思っていると、涙がたまった目で見ていたご婦人に、本部広前の光が当たり、そのご婦人を照らし輝かせているように見えてきて、「ああ、神様はこの方のことを、本当に慈しんでおられるのだろうな」と思えてきました。

続きはこちら → 「神人あいよかけよの生活運動」ページ

投稿日時:2020/12/11 13:27:10.205 GMT+9



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