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信心のまなざしで見る新型コロナ問題④【金光新聞】

神と人の関係に揺らぎはない

 昨年末に確認された新型コロナウイルスの感染は、以来、世界中へと拡大の一途をたどり、いまだ終息の兆しが見られません。その間に多くの方々がお亡くなりになり、悲しみや苦しみ、不安の中で、また、経済的なストレスも抱えながら生きていかなければならない現実があります。
 一方、医療現場をはじめ、さまざまな分野において、多くの方々が尽力されている姿があります。人の持つ働きや、人が神の氏子であることのありがたさを感じずにはおれません。そうであればなおのこと、神人の道を伝え、そこから生まれる確かな立ち行き、助かりを実現していかねばと思います。
 ここで思い出すのは阪神淡路大震災です。当時、「天地金乃神様はなぜこのようなむごいことをなさるのだろう」といった疑問の声を聞きました。けれども震災に遭われた方は、そんなことを考える余裕もなく、むしろ震災をバネにいよいよ神様に心を寄せ、御取次を頂きながら、生きる力を頂いていかれたのです。その姿は被災しなかった人に勇気さえも与えてくれるものでした。
 災難に遭いますと、神様のおかげが分からなくなることがあるかもしれません。けれども、常に理解しておくべき点は、神と人との関係に揺らぎはないということです。

 病気が治ったのがありがたいのではなく、健康でいられることがありがたいというのは、今では信奉者の誰もが知っていることだと思います。病気でつらい思いをすれば、健康のありがたさや命を頂いていることへの感謝は人一倍でありましょう。ただ、大事なのは健康を頂いて終わり、ではないということです。病気が治ったことへのお礼も大切ですが、神と人との関係においては、健康な体を頂いたなら頂いたで、その体をどのように生かしていくのかが信心だと思います。
 例えば、自分の行動や心が、他人を苦しめたり悲しませたりしてはいないか。相手を憎んだりねたんだり、責めたりしてはいないか。そうした言動が単純に駄目だということではなく、自分を生かし他者をも生かすのは神心(かみごころ)の発現、すなわち信心に基づく心配りから生まれるものだということです。いくら喜びの信心といっても、そこがずれてしまうと単なる規範や我慢になってしまいます。
 いかなる難儀があろうと、神も喜ぶ助かりを一人一人が生み出し、先を楽しめる信心が神人の道です。健康に限らず、コロナの問題でも同じで、「神人の道」がなくなるわけではありません。ここを見失っては元も子もありません。「祈り」は「神心」に違いありませんが、私たち一人一人が起きてくる問題にどう向き合い、どう行動していくのかも含め、「神人」に結び付いた日々のずれない生き方がとても大切になると思います。
 現在も先の見えない感染拡大の状況が続いていますが、そういう中であればこそ、迷うことなく、神の氏子として人間らしく生き、われひと共に助かる世界を実現したいと願っています。

杉島 教義(新潟県越後亀田教会長)
「信心のまなざしで見る新型コロナ問題」金光新聞2020年8月16日号掲載

投稿日時:2020/09/15 09:07:07.761 GMT+9



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