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家族に根づく信心生活【金光新聞】

神様に助けられたからこそ

 黒川敬一さん(87)は、十代と二十代に2度、大病を患い、特に2度目は骨と皮になるほど、やせ衰え、近所の人たちが、「敬一さんは、もう駄目かもしれんな」と、うわさするほどでした。
 そんな中を、今は亡きお母さんと伯母さんが教会に参拝し、一心に神様におすがりしたことで、九死に一生を得るほどのおかげを受けました。
 その体験から、敬一さんには「神様に助けられたからこそ、今日の自分がある」という思いが強く、母と伯母の信心をしっかりと受け、その後の人生を進めていきました。そんな敬一さんの長男夫婦に子どもが生まれてからは、いつもお孫さんと替えのおむつを下げながら教会に参拝するようになりました。

 お孫さんは、元気いっぱいの女の子で、幼いころは、ご祈念中も教会の中を走り回るなど、何かにつけて手がかかりましたが、それでも毎日、お孫さんを連れて参拝を続けました。
 また、ご本部にも一緒に参拝し、団体列車での長旅の間、お孫さんの遊び相手や食事の世話など、周りの人が感心するほど、男手にもかかわらず、まめな世話ぶりでした。そこには、「何としても孫に信心を伝えたい」という、敬一さんの強い気持ちが表れているようでした。
 そんな敬一さんとの生活を通して育っていったお孫さんも、今では大学生となり、敬一さんが教会の祭典への参拝やご用奉仕ができない時には、代わって参拝してくれるようになりました。

 息子さん夫婦も、大祭には必ず祭典のご用奉仕をするなど、今では家族そろっての信心になっています。中でも、未信奉者の家庭から長男のもとに嫁いできた加奈子さんは、敬一さんが何も言わなくても「これから教会に行ってきます」と、大祭のご用奉仕に自ら進んで参加しています。教会のお広前のガラス戸がいつもきれいなのは、加奈子さんの日ごろの手入れのたまもので、誰から見ても行き届いた奉仕をされます。それは、敬一さんのご用ぶりを見て、加奈子さんの中に「私も、何か一つでもしっかり神様のご用をさせてもらいたい」という思いが育っていったからでした。

円満な家庭を築くおかげを頂きたい

 また、加奈子さんが嫁いできたころ、黒川家には、当時90歳の体の不自由なおじいさんがいました。敬一さんの奥さんは洋裁店を営んでいたので、息子である敬一さんが主に介護をしていました。加奈子さんは、敬一さんが毎日、おじいさんの下のお世話をするのを目の当たりにしていく中で、「お義父さんが介護を必要とするような体になったら、私も精いっぱいさせてもらおう」と思うようになっていきました。

 やがて敬一さんが病気で床に就くことになってから、加奈子さんは排便の介助やおむつの取り替えなど、献身的に世話をしていきました。脳梗塞(こうそく)で寝たきりになって丸4年を迎えますが、加奈子さんの介護ぶりに、変わるところはありません。

 加奈子さんが黒川家に嫁いで今年で23年になりますが、近所の方が、「お宅は婿養子さんですか」と言われるくらいに、すっかり黒川家の柱になりました。その元には、「息子夫婦と共に、円満な家庭を築くおかげを頂きたい」と願い続けてきた敬一さんのひたむきな信心ぶりと、その思いを加奈子さんや家族がしっかりと受け止め、信心生活が家族の中に根を張った姿がはっきりと表れているのです。

メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2008/12/26 11:09:43.824 GMT+9



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