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巻頭言-立教神伝を頂く

「神の言うとおりにしてくれ」とは

「立教神伝を頂く」という心持ちをもって、教祖様のご事跡をたどらせていただくと、いろいろなことが思い起こされてくる。【金光教報-天地】

 四十二歳のご大患以降、安政六年に立教神伝が示されるまでの教祖様の歩みには、数々の神様のお試しがあった。そのなかで安政四年十月、香取繁右衛門の亀山広前普請について、「普請入用金神が頼む」との神様のお頼みがあり、それを教祖様は「私、根(こん)にかなうことなら」とお受けになる。自分にできる範囲でという意味であるが、その教祖様は、建築費用のすべてを負担されるのみならず、自ら広前建築の手伝いにも出向かれ、さらには新築祝いまで調えられた。ここには、ご用に取り組まれる教祖様のお姿がうかがわれ、そのお姿をとおして、あらためて「ご用に立つとは、どうあることなのか」と思わせられる。

 越えて翌安政五年正月、教祖様は、鏡もちを持って亀山広前に新年の参拝をされる。その折、教祖様に対して、「戌の年は、神の言うとおりしてくれ。そのうえに神と用いて(立てて)くれ、神も喜び」との神様のお言葉があり、続けて教祖様を「金乃神下葉の氏子」として「日本神々へ届けいたしてやる」という神様のみ心が示された。

 この「神の言うとおりにしてくれ」とは、これまでの教祖様のご用ぶりを含めて、「言うとおりにしてくれた」と読むのか、これから将来のご用に向けて「してくれい」と頼まれていると読むのか。または、その両方の意が込められていたと読めるのか。いずれにせよ、教祖様と神様との結びつきがいよいよ深められていく段階での神様のお言葉なのであり、そのうえで「神と立ててくれ」と仰せられ、それが神様の喜びでもあるとされている。こうした神様のお言葉のうちには、立教神伝へとつながる最初の段階における神様のご確認があったと考えられる。

 そうとして、では、私たちがどうさせていただくことが「神と立てて」いくことになるのか。そのことが、この道の信心生活を求めるうえで問題になってくる。

「神と立てて」いく信心生活

 次に紹介するのは、三代金光様の奥様である金光キクヨ姫様、ご晩年のみ教えとして伝えられたものである。
 
 ある時、「人からものを頼まれた時に、今しようと思うておりましたということは言わないほうがよい」と(奥様が)おっしゃるんです。「今しようと思うておりましたと言うことは、自分を出すことになろうが。『はい』と言うてするのも、『今しようと思うておりました』と言うてするのも同じことじゃけれども、絶えず承る、見させていただくという態度でなかったら、信心は育っていかんのじゃ」と教えていただきました。
 
 ここでは、「今しようと思うておりました」と言うことは、実際にそうであったとしても、どこかで自分を先に立てようとする心がにじみ出たことにほかならず、神様を立てることに懸命な者は、自分の置き所を心得るべきである。自分を出したのでは、「絶えず承る、見させていただくという態度」にはつながらず、「信心は育っていかんのじゃ」と明解に諭されている。日常生活の一こまを取り上げたものとはいえ、信心の成長が願われてのことであり、それゆえにこのみ諭しは、私たち信奉者を「神と立てて」いく信心生活へといざなうお言葉として示唆深いものがある。

 立教神伝には、「神も助かり、氏子も立ち行き」「氏子あっての神、神あっての氏子」という、神と人との間柄を示すお言葉がある。これは神様からご覧になって、「神が助かる」ことと「氏子が立ち行く」ことが同時に成り立つ信心というものがあり、その信心が人間社会に生きる私たちにしっかりと見いだされ、現されていくことを切に願われる神様のみ心が明かされたお言葉である。その「神が助かる」ことは、「神と立てて」いく教祖様の信心生活によって開かれたのであり、さらには立教神伝以降の教祖様はじめ歴代金光様のご用姿勢にも貫かれ、現教主金光様が願いとされている「世界の平和と人類の助かりに役立たせていただく」信心の今日的核心とも頂くのである。先の金光キクヨ姫様のみ教えは、そのような教祖様以来の流れのなかに培われた尊いみ諭しなのである。

 先輩諸師は、それぞれの時代にあって立教神伝を受け止められ、それぞれの信心生活を展開された。私たちも今日にあって、ご神慮に添い、「神と立てて」いく信心生活を頂き直して、この道に生かされている喜びをいっそうに深め、ここからのさらなるおかげをこうむってまいりたい。
メディア 文字 巻頭言 

投稿日時:2009/01/31 10:18:23.177 GMT+9



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