原因不明の病に
「もしもしお母さん、どう? 覚えられた?」娘からの電話を受けた時、私(61)はご本部から大祭祭員を依頼され、教会でその作法を練習しているところでした。
ご霊地には1万人余りを収容できる祭場があり、そこで全国からの参拝者とともに、ご大祭が仕えられます。そのご用ということで、辞退することも考えましたが、これまで受けてきたおかげを思って、お引き受けする覚悟を決めたのです。
今から15年前、私は突然、体中の毛が抜け、めまいや微熱が続くという原因不明の病にかかりました。医師からは、「治療法が無く、治る可能性は五分五分」と言われ、目の前が真っ暗になりました。それでも、命にかかわるものではないということなので、入院せずに教会でご用をしながら療養することにしました。とはいえ、病を抱えての生活は予想以上につらく厳しいものでした。用事で外出した次の日は、寝込んでしまうという生活が続きました。
そうした生活が6年ほど続いたころ、ようやく治療法が開発されました。それからは病気も快方に向かい、日常生活に支障のないほどに回復していったのです。
そして、10年ぶりにご霊地(岡山県金光町)に参拝することを思い立ちました。長旅の末、電車が金光駅に近づき、車窓から八つ波の教旗が目に入った時、参拝できたことのありがたさで胸がいっぱいになり、目には涙があふれました。
そうした経験から、ご本部大祭でご用をさせて頂くことをありがたく思う一方で、「私には無理かもしれない」と、後悔すらし始めていました。
普段、教会で仕える祭典でもあまり祭員のご用をしたことのない私は、送ってもらった作法の資料を読んでも頭に入らなかったのです。
金光様の祈りの中で仕えられるご大祭
そんな時、再び娘から電話がありました。
「私、夢を見たの。教主金光様がね、お母さんに祭員の作法を教えてくださっているの。ここはこうして、そこはもう少し低くって。だから、絶対大丈夫だからね」
私は、電話を切った後、はっとしました。ご大祭が近づくにつれて、私の心の中はご用をさせて頂ける喜びよりも、「私にできるだろうか。失敗したらどうしよう」という、不安で占められていたことに気付かされたのです。
「教主金光様は、全国から参拝になる方々や、ご用をされるすべての人たちが、このご祭典が無事お仕えできるようにと願いを掛けてくださっている。自分一人が頑張って、させてもらうご用ではない。金光様の大きなお祈りの中で、させて頂くご用なのだ」。そのことに思いが至ると、それまで私の心を覆っていた不安がすっと消え、代わってありがたい気持ちで心の中が満たされていくのを感じました。
そして、大祭当日を迎え、私は多くの方々が参拝される中で、無事にお役目を果たすことができたのです。
「大丈夫だから」と言いながらも、心配してくれていたであろう娘をはじめ、一つ一つ丁寧に教えてくださった指導係の先生方。いろいろな方々の祈りと支えを頂いて、お仕えすることができました。
何より、金光様の祈りの中で仕えられるご大祭だということに、あらためて気付かせて頂いたことは本当にありがたく、一生忘れることのできない祭典となりました。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。
投稿日時:2009/03/19 11:21:19.535 GMT+9