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神様にすがれば歩ける【金光新聞】

気が付くと屋上の縁から身を乗り出そうと

 私(41)が高校3年生の春、大学受験か金光教学院(金光教の教師養成機関)入学かで心が揺れていた時の出来事です。その年の5月ごろから、下半身に鈍痛としびれを感じるようになりました。当初はそれほど気にしていませんでしたが、次第に足の感覚が無くなり、ついには歩くこともままならない状態になったのです。【金光新聞】

 病院でも原因が分からず、入院してさらに詳しく検査することになりました。医師からは、「場合によっては、車いす生活も覚悟してください」と告げられました。

 それまで普通に生活ができていただけに、「なぜ自分がこんな目に…」という、やり場のない思いが胸に渦巻き、私は見るもの聞くものすべてに、いら立ちを覚えるようになっていました。

 ある時、気晴らしに病院の屋上に上がり、行き交う車を眼下に眺めているうちに、「このまま落ちてしまえば、こんなに苦しまなくても済むのに」と思え、気が付くと屋上の縁から身を乗り出そうとしていました。その瞬間、親教会の先生の「しっかりしなさい!」と言われる声が心に響き、われに返りました。

やっとの思いで 本部のお広前に

 私は、そのことを見舞いに来た父に話しました。父は、「たとえ歩けなくなったとしても、話すことや本を読むことは、できるではないか。先のことをあれこれ考えるよりも、今できることの中に喜びを見つけなさい」と話してくれました。その言葉で少し気持ちが楽になり、また前向きに生きていこうという気にもなったのです。結局、原因が分からないまま、私は退院しました。教会に戻ると、「ご本部に参拝したい」という思いに駆られ、一人で金光教本部に参拝しようと決意しました。思うように歩けない身での参拝に、両親は祈りながら送り出してくれました。

 福岡から新幹線と在来線を乗り継いで岡山県の西部にある金光駅に着くと、私は民家の壁を伝いながら、はうように歩きました。普段なら、駅から10分で行ける距離を約2時間かけ、やっとの思いで、本部のお広前に着きました。そして、お結界で四代金光様のお顔を見た途端、今までのことが思い出されて、涙があふれて止まりませんでした。この時、金光様が何を言われたのかは、覚えていませんが、「神様に治して頂きましょうな」と言われた一言だけは、今も耳から離れません。

 その金光様のお言葉に、私は「原因すら分からないこの病気だが、神様にすがれば歩けるようになるかもしれない」と、希望の光を見たのです。そして、金光様の近くにいたいという思いから、学院入学を強く意識するようになりました。

 本部からの帰途、親教会に参拝してそのことをお届けすると、「お道の教師になるということは、神様にその体をお供えさせて頂くこと。少しずつおかげを頂けるから、神様にすがって、頑張りなさい」とお言葉を頂き、これが私の自覚的な信心のスタートとなりました。

 あれから20年。いまだに病気の原因は分かっていません。でもこの間に学院で修行させて頂くこともかない、車いす生活も覚悟した足は、徐々に動くようになり、やがて日常生活で不自由することはなくなりました。

 あのような状況から神様に治して頂き、今、ご用させて頂ける喜びを忘れず、これからもお役に立たせて頂きたいと願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。
メディア 文字 信心真話 よい話 金光新聞 

投稿日時:2009/08/28 10:35:55.894 GMT+9



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