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愛犬の葬儀で得た安心【金光新聞】

ご霊殿の八足の下に 愛犬のひつぎを安置

 中川美一さん(54)、陽子さん(50)夫婦は、毎年9月10日には必ず、私がご用する教会へ参拝してきます。その日が愛犬の命日だということもありますが、同時に二人にとっても大切な日なのです。

子どもに恵まれなかった中川さん夫婦は、体重が40キロもある大型のコリー犬をわが子同然に大切に育てていました。夏の暑い日には、自分たちのためにはめったに使わないエアコンも惜しみなく使ってやり、食べ物も自分たちの食事以上に気を配るというように、そのかわいがりようは、わが子をいとおしむ親そのものでした。

 しかし、平成10年9月10日、体調を崩していた愛犬が静かに息を引き取ったのです。

 陽子さんから、教会へ電話が入り、「先生、ただ今うちの子が息を引き取りました…」と、涙声でお届けがありました。私は、陽子さんのわが子を亡くしたかのような悲しみように、「すぐに教会へ連れてきなさい」と言葉を掛けたのです。

 やがて、夫婦が愛犬の亡骸(なきがら)を運んで参拝してきました。私は二人の心情を察して、ご霊殿の八足の下に愛犬のひつぎを安置し、簡単な祭詞を奏上して告別式を仕えさせて頂きました。

 中川さん夫婦は、悲しい中にも、「この子はなんて幸せものなのだろう」と、何とも言えない「ありがたさ」を感じたといいます。この時、ふいに、9月10日はその11年前に二人が初めて教会に参拝した日であったことを思い出したのです。

 当時、中川さん夫婦は対人関係での悩みを抱えて、不安の中で問題解決の方途を求めていました。そんな折、知人から「金光教はいい宗教だから、参拝してみたら」と勧められて教会を訪れ、金光大神の教えに引かれて入信したのでした。

 そして、参拝を重ねるうちに対人関係の悩みにおかげを頂いていかれました。夫婦はそのお礼に毎年、自宅でのお祭りも希望されるようになったのです。その愛犬にも二人の思いが通じていたのでしょう、私が中川家でのお祭りを仕える間は不思議と、ほえも動き回りもせず、おとなしく見守ってくれていました。

 そうしたことを思い出しながら、中川さん夫婦は愛犬の命日と入信した日の重なりに、何かしら神様の深いおぼしめしがあるように感じたのです。

 以来、中川さん夫婦は毎年、愛犬の命日のこの日には、教会で私とともに「霊前拝詞」と「祖先賛詞」を奉唱し、愛犬のみたまの立ち行きを祈りました。

教会で祭ってもらえる 大きな安心

 それから数年がたち、愛犬の告別式で感じた、あの「ありがたさ」のもう一つの意味に気付いたのです。それは、たとえ死んだ後に祭ってくれる身寄りがなくとも、教会では日々、みたまの立ち行きを祈り続けてもらえることへの安らぎであり、安心だと思い当たったのです。

 「この子は、ただ死んだのではなく、犬のみたまながらに祭られ、おかげを頂いている。私たち夫婦もこの道の信心をしていれば、きっと同じように、ありがたい神上がりのおかげを受けられる」

 中川さん夫婦は教会で愛犬を祭ることを通して、その思いを深くしていったのでした。

 自分たちの死後、教会でずっと祭ってもらえることが分かった中川さん夫婦にとって、9月10日はこの先の人生に大きな安心を得た日となったのでした。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

メディア 文字 信心真話 よい話 金光新聞 

投稿日時:2009/09/04 15:11:08.231 GMT+9



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