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金光教報 天地 10月号 巻頭言

立教150年生神金光大神大祭をお迎えして

 黄金色の稲穂が大地を覆う季節を迎え、立教150年生神金光大神大祭が、教主金光様ご祭主のもと、10月4日、7日、10日、12日の4回にわたり本部で執り行われ、そのごひれいを頂いて、各地のお広前でも同様に仕えられる。

 この道は、教祖金光大神様が、天地金乃神様から立教神伝を拝受され、お広前奉仕、御取次に専念されたことに始まる。爾来(じらい)、教祖様が24年、二代金光四神様が10年、三代金光攝胤様が70年、四代金光鑑太郎様が28年、現教主金光様が18年と、御五代にわたる御取次の業が途切れることなく続いての150年ということである。

 そして、その御取次の業については、金光四神様の「私だけではとても勤まりませんが、毎夜12時を過ぎますと、親さまがもとのとおりお出ましになって、一日のお願いお届けのお帳面を、繰り返し繰り返し3か年の間ご祈念くだされました。それで不徳な私も勤まりました」とのお言葉が伝えられている。

「体がなくなれば、願う所へ行って氏子を助けてやる」との教祖様のお約束は、この金光四神様のお言葉をはじめ、多くの先人たちの経験をとおして確認されてきており、今日、ただ今も、われわれ信心する者を包みこんでくださっている。そのような永世生きどおしの生神金光大神取次のみ働きを、わが身のうえにも頂いているお互いとして、立教150年生神金光大神大祭をお迎えさせていただくのである。

神に使われることを楽しみに

 ある先師が、金光中学講習科(現在の金光教学院)の在学中、夢を見た。

 夢の中で金光様から「おまえは何をするつもり」と問われ、「教師のおかげをいただくようにお願い申し上げます」とお答えすると、「教師のおかげはいただいても、人が助からねばつまらぬ」とのお言葉。「恐れ入りました、これより一心に信心いたしまして、人を広く助け導くよう、おかげをいただきとう存じます」と申し上げると、金光様は「ハイ」と仰せられ、懇ろにご理解くださった。さらに、その翌朝、今度は、白紙に包んだ塩を、金光様にお願いして、大井戸に入れていただくという夢を見た。

 そこで、この二つの夢を三代金光様にお届けすると、「世の中のことは、味わいあるもなきも『塩が本』、『今のしお』を忘れねばおかげになります」とのお言葉が下がり、先師は恐懼(きょうく)して、「私、尊き命を助かり、家を助かりましたるを手本といたし、一命をなげうち、お道大繁盛のため深く尽くし、おろそかに退くことはいたしませぬ」との熱願を込めたのである。その後、この一連のことを師匠に報告すると、「その決心なら、神が頼むと仰せられることじゃ」と言って喜ばれたという。

 また、400軒の村落の中、240軒を導き、各家に神様を奉斎させたある信徒は、「先生、はじめ、ただ一度お手引きをしただけでは駄目(だめ)です。しばらく行かずにいると、いつの間に神棚は塵(ちり)だらけになって、教会には久しゅうお参りもせぬというのが多いのですから、絶えず行って気をつけて、鞭撻(べんたつ)せねばならぬから、油断はちっともできません。先生、私は信心の道しるべにならねばならぬ、と自分にも覚悟しております。自分がゆるめば、自分についてくる信者の信心もゆるんでくると思います」とお手引きの心得を語ったという。

 これらの事例からは、神様のみ心に添いまつることを無上の喜びとし、自身の生きがいとする先人たちの、深い覚悟や情念が伝わってくる。それとともに、この事例をとおして、私たちの「この道のおかげの自覚」が問われ、心揺さぶられるものがあるのではなかろうか。

 教祖様は、「信心するといっても、これまではみな神様を使うばかりで、神様に使われることを知らない。天地金乃神様は人を使わしめになさる。神に使われることを楽しみに信心せよ」と教えられている。

 「神、人を求め給(たま)うこと、誠に切」とのある先師の言葉があるが、立教百五十年生神金光大神大祭をお迎えするに当たり、共々に、「この道のおかげの自覚」を新たに、神様に使われることを楽しみにできる信心生活を求めて、ここからのさらなるおかげをこうむってまいりたい。
メディア 文字 巻頭言 

投稿日時:2009/09/29 14:52:34.080 GMT+9



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