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かすり傷の裏に神働き【金光新聞】

運がよかった

「この事故は、死亡事故になっていてもおかしくないですよ」。警察の方からそう言われ、私は事故の大きさに身震いしました。
 それは今から18年前のこと、私(48)が中学校の教員をしていた夏の出来事でした。
 当時、部活動の監督をしていた私は、地方大会での審判員の務めを終え、夕刻、車で家路を急いでいました。
 この日、私の胸中には何かむしゃくしゃしたものが渦巻いていました。私の学校のチームは、県大会の準決勝で敗退していて、この大会には出場できませんでした。
 どこか残念な思いを引きずりながら、仕事の疲れもたまっていたのでしょう、一瞬の油断でした。下り坂で側溝に左前輪を脱輪させてしまったのです。
 車は高速で横倒しになり、そのまま車道を滑走しました。私の視界には、飛び散る火花とコンクリートの路面が飛び込んできました。私は、制御不能となった車のハンドルを必死に握り締めるしかありませんでしたが、この時、私の心に、「金光様!」「神様!」という思いは出てきませんでした。
 その後、車は悲鳴のような摩擦音を上げながら、左側面を上にした格好で停車しました。私は、自力で車から出ることができない状態でしたが、後方を走っていた車に乗っていた家族が、車外へと助け出してくれました。
 さらに、その家族の車のすぐ後ろにはパトカーが走っていたのです。私は、現場を検証した警察の方から、「死亡事故になっていても不思議ではなかったが、かすり傷だけで済んだのは、シートベルトをしていたこと、両手でしっかりハンドルを握っていたことに加え、運がよかったからだ」と言われ、不注意から周りに迷惑を掛けたことをとがめられました。

神様が助けてくださった

もし、車が反対側に滑っていたら、ガードレールを飛び越えてダム湖に落ちていたでしょうし、走行側を大きく飛び出していたら、民家に激突していたかもしれないのです。
 自分の命だけでなく、他人の命までも危うくしかねなかったことを思い、恐ろしくなりました。
 その時、夕暮れの山々にこだまするひぐらしの鳴き声が耳に入ってきました。すると、ふいに、夕日に照り映える天地の中で、温かい桜色の真綿のようなものに包まれている感覚を覚え、涙があふれ出してきたのです。
 「神様が助けてくださった」。この時に至って、私は初めて神様のお働きを実感したのです。
 今思えば、もしあの時、私の学校の生徒が大会に出場し、車に同乗していたなら、人身事故になっていたかもしれません。また、この事故で私が亡くなっていたら、当時、妻のおなかにいたわが子に会うことはなく、後に生まれてくる二人の子どもは、この世に生を受けてはいなかったでしょう。
 現在、私は中学校を退職して金光教の教師にならせて頂いています。この出来事の後も今日に至るまで、私は幾度となく神様に導かれ、助けられてきました。
 「神様のおかげは、生きておるから死んだからじゃないぞ。いつも受け通しぞ」と、教祖様はご理解くださっています。常に、おかげの中に生かされていることに思いを致し、お礼の心をもって、教祖様から今日に続く信心の道を、未来へ紡いでいきたいと願っています。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2010/01/22 14:24:34.251 GMT+9



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