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信心辛抱で難に向かう【金光新聞】

タツさんの日参

 山野タツさんは、94歳になる元気なおばあちゃんです。さすがに足腰は多少弱くなりましたが、孫やひ孫に囲まれて穏やかな日々を送っています。また週3回は、息子の正雄さん(71)と二人で介護施設のデイサービスに通い、タツさんは、「正雄は60歳過ぎて社会デビューしたのよ」と、おどけた口調で言っています。
 しかし、タツさんがたどってきたここまでの道のりは、決して平たんなものではありませんでした。
 昭和13年、タツさんは難産の末、正雄さんを産みました。しかし、産後、正雄さんには障害があることが分かったのです。運動神経の一部にまひがあり、目や耳の機能は失われてはいないのですが、歩くことも話すこともできませんでした。
 今日では、障害のある人に対しての理解や支援も進み、活動の場も増えました。しかし、その当時は、今とは比較にならないほどの差別や偏見があったそうです。
 そんな時代の中、正雄さんを助けたい一心で、タツさんは正雄さんを背負って教会に日参を始めたのです。
 タツさんと金光教とのご縁は、タツさんの妹が職場の人のお手引きでご縁を頂いたことに始まります。また、夫のおばさんも熱心な信者だったのです。
 タツさんは、雨の日も風の日も休むことなく、参拝しました。正雄さんが成長し、背負えなくなると、竹製のうば車に乗せて教会までの片道1時間余りの道のりを、うば車を押しながら歩いて参拝しました。
 その様子を見ていた人の中には、「あんなに参っても、ちっとも良くならんじゃないか」と、陰口をたたく人もいました。でも、タツさんは日参をやめませんでした。

神様に身を任せ

 そうして、信心を進めていくうちに、ある変化が生まれてきました。それは、わが身の上の立ち行きを願うだけでなく、何か神様のお役に立ちたいと思うようになり、自分にできるご用は何かと考えるようになったことです。
 四六時中、正雄さんに手がかかるので、ほかの人のようにご用奉仕はできませんでしたが、彼女なりに工夫しながら、できることに努めました。
 やがて、そうしたタツさんの真摯(しんし)で前向きな生き方に心を動かされた人が周りに集うようになり、その中から入信する人もできていきました。
 その後、夫の退職を機に、正雄さんと夫の弟一家との養子縁組が決まり、後見人になってもらうことができました。今では弟夫婦の支援を得ながら生活しています。
 タツさんは、90歳の時、肺にがんが見つかりました。この時、正雄さんを残してまだ死ねないという強い思いからか、手術を決断しました。当時では最高齢での肺がん手術となりましたが、医師からは、「普通の人ならこんな高齢での手術は勧めませんが、タツさんは気力も体力もあるから大丈夫です」と言われたそうです。
 地獄の底をはうほどのつらい思いもしたけれど、神様のおかげ、ご信心のおかげで乗り越えさせて頂けた。どんなことがあっても神様におすがりしていれば辛抱させて頂ける。信心辛抱、しっかり気張って、ご信心させて頂きなさいよ!」と、口癖のように語るタツさん。幾多の難儀に遭っても逃げず、ひるまずに、神様に身を任せ、信心でぶつかり、乗り越えてきたからこその言葉だと思います。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2010/02/05 10:47:34.664 GMT+9



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