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神様をもっと知りたい【金光新聞】

死んでしまったらどうしよう

 今から23年前、私(当時25)が大阪での会社勤めを辞め、実家の九州に帰省した時のことです。母から「大阪から帰ったことを神様にお届けしてきなさい」と言われ、1人で教会へ参拝しました。
 熱心に金光教を信仰する両親は、娘の私を幼いころから教会に連れていきました。私は、父がお結界で深々と頭を下げながらお届けをする姿を目にしていましたが、1人でお届けするのは、その時が初めてでした。
 当時、お結界は自分の願いを神様へ伝える場所だと思っていたので、この時も私は、「良い仕事が見つかりますように」と、お届けしました。すると、お結界に座っていた先生の表情が見る見る険しくなり、「今まで無事に働かせて頂いてきたのに、そのお礼も言わず、もう次の就職のお願いか!」と、厳しい口調でしかられたのです。
 その瞬間、私の心は大きく揺さぶられました。そして、約1年前に起きたバイク事故の様子が鮮やかによみがえってきたのです。

 それは、私が会社の後輩にバイクの運転を指導していた時に起きました。その後輩が、運転操作を誤って私の乗っていたバイクに衝突し、その弾みで道路へ投げ出され、地面に頭をたたき付けてしまったのです。
 私はすぐに救急車を呼び、後輩は病院へ搬送されましたが、脳挫傷を負ってけいれんを起こし、危険な状態でした。私は、苦しむ後輩の姿を目の当たりにしながら、「このまま死んでしまったらどうしよう」と、強い不安に駆られました。この時、ふと教会の存在が心に浮かんだのです。
 すぐに母に電話し、事故の詳細を話すと、母は急いで教会へ行き、お届けをしてくれました。この時、先生から「事故の内容を手紙に書いて教会に送るよう、娘さんに伝えなさい」と言われたそうです。その話を母から聞いた私は、事故の詳細と後輩の全快を願う内容を手紙にしたため、教会に送りました。


信心は親に孝行するも同じこと

 後輩は驚くような回復ぶりで、事故から2カ月後、後遺症もなく、無事に退院できたのです。
 このような大きなおかげを頂きながら、お届けをした時には、そのことがすっぽり頭から抜け落ちていたのです。
 先生は、「信心は親に孝行するも同じことです」と続けられ、はっとさせられました。事故の時に、両親が私と後輩の立ち行きを一心に祈念してくれていなければ、今の私は存在していない、と思わせられたのです。
 そうして、先生の話を聞くうちに、自分が幸せで楽しければそれでいいという、自分勝手な生き方をしていたことに気付きました。同時に、私を祈り導いてくれた両親への恩に報いる生き方をするよう、先生が私に促してくれているように感じたのです。

 お届けが終わるころには、次の就職先の願いは頭から去り、私や後輩を助けてくださり、両親が大切にしていた神様のことを知りたいと思う気持ちが芽生えていました。私にとって、この時が第2の人生の始まりとなりました。
 このことを契機に、自分の生き方を見詰め直したいと教会へ日参するようになり、先生の話を熱心に聞くうちに、少しずつ自分の心が神様へ向かうようになっていきました。
 その後、私は金光教の教師にならせて頂き、あらためて先生や両親が懸けてくれた祈りを感じずにはいられません。
メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2010/03/04 13:25:15.439 GMT+9



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