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抜け落ちた大切なこと 【金光新聞】

赤尾さんと典楽との出合い

 今日も教会の境内には、篳篥(ひちりき)を演奏する赤尾武男さん( 81)の姿があります。そして、赤尾さんを囲むようにして、典楽(てんがく)のけいこに励む楽人たちの奏でる楽の調べが境内に響いています。
 赤尾さんと典楽との出合いは、今から63年前の昭和22年のことでした。
 当時、金光教本部(岡山県金光町)には、現在の祭場はまだ無く、大祭時には、参拝者は境内に敷き詰められたむしろに座して祭典を拝したものでした。
 この年、18歳だった赤尾さんは、初めて本部の大祭に参拝しました。この時、目にした祭典の中で、とりわけ赤尾さんが感銘を受けたのは、神様へお供えする厳かな楽の調べと、祭典後、参列した祭員に合わせて、一糸乱れず厳粛に退座していく楽人たちの姿でした。
 「自分もいつか、あのようにありがたいご用を頂いてみたい」
 赤尾さんの胸に、そうした思いが強くわき起こりました。そこで、本部大祭から帰宅すると、さっそく地元の九州で典楽を習うことにしたのです。

 それから4年がたったころのことです。赤尾さんは、本部で典楽の講習会が開催されることを耳にしました。
 本部参拝時に、楽人の奏楽を聞いて以来、日夜、典楽のけいこに励んできた赤尾さんは、「是が非でも、この講習会に参加したい」と思いましたが、当時、駆け出しの鍛冶(かじ)職人だった赤尾さんの生活は苦しく、本部までの旅費がままなりませんでした。
 「あきらめるほかないだろう」と思いつつも、何ともあきらめ切れません。迷いに迷った末、教会へ参拝して、先生のお取次を頂くことにしました。

信心のけいこ

 教会の先生は、赤尾さんのお届けを聞いて、しばらく考え込んだ後、「経済的に苦しい中を、無理して一泊二日の講習会に参加せねばならぬのか」と尋ねました。そして、しばしの間じっと目をつむり、ご祈念されたのです。やがて、おもむろに目を開いた先生の口から出た言葉は、「そうじゃなあ、ご本部参拝じゃからなあ」という一言でした。
 赤尾さんは、その言葉にハッとしました。「ご本部で本物の楽技を身に付けたい」と、その思いに気を取られるばかりに、「ご本部に参拝させてもらう」という、信仰の大切なところが抜け落ちていた自分に気付かせられたのです。 
 赤尾さんは、取次を通して、信心が抜けていた自分の心に、先生がくさびを打ってくださったのだと感じました。

 その後、赤尾さんは本部参拝と講習会への参加を、おかげの中で成就することができました。
 以来、今日まで60年以上にわたって、先生から受けたお取次を人生の指針に、日ごろの生活はもとより、典楽のご用も信心のけいことして打ち込んできました。 
 81歳となった今なお、「神様にお受け取り頂けるような信心のけいこと、楽技の向上に精いっぱいいそしんでまいりたいのです」と語り、神様に楽をお供えし続けている赤尾さん。その周りでは、赤尾さんの人柄を慕い、志を受け継いでいきたいと願う、若い楽人たちが次々と生まれています。
メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2010/09/25 09:26:51.118 GMT+9



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