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移ろう心を取次で整え【金光新聞】

海浜公園で清掃奉仕

 私(52)がご用をしている教会では、毎年、近くの海浜公園で清掃奉仕を行っています。これは、天地自然の恵みに感謝するとともに、ビニール袋などのごみから海の生き物や自然を守ろうと始められたものでした。
 ごみの多くは、たばこの吸い殻や花火の燃えかすなどですが、漁で使用されたとおぼしきプラスチック類やペットボトルなども目につくようになりました。
 この清掃奉仕に、毎年参加している人たちの中に、剛さん(35)と清志さん(28)がいます。
 彼らは、高校まで地元で過ごした後、進学、就職で県外に出ていきました。でも、帰省時には、実家に帰るより先に教会へ参拝してきて近況を話し、また、仕事や人間関係などに悩みを抱えた時には、逐一お取次を願うなど、教会参拝を通して、取り組みの方向性を見いだし、それぞれの生活に戻っていきます。
 そんな彼らですが、数年前の清掃奉仕時に、こんなことがありました。

 浜辺での清掃作業を終え、回収したごみの運搬用に借りていた軽トラックを私が運転して、持ち主に返しにいった時のことでした。その際、剛さんと清志さんに別の車で同行してもらい、帰りに乗せて帰ってもらうことにしたのです。
 軽トラックの持ち主の家に着き、返却を終えると、私は少し離れた場所で待っている二人の元へ小走りで急ぎました。
 その時、私に気付いた二人が、吸っていたたばこを田んぼの横を流れる水路に捨てる光景が目に飛び込んできたのです。
 私はあぜんとし、次の瞬間、「こらっ! 君たちはさっきまで何をしてきたんだ」と、語気強く言いました。
 清掃奉仕中、二人は、「よく平気で捨てられるな。誰かが片付けなくてはいけないのに。拾う側でよかった」などと話していたにもかかわらず、今度は捨てる側になっていたのです。
 帰りの車中には、気まずい空気が流れました。
 「少し言い過ぎたかな…」「いつも捨てているわけではあるまい。私が、思ったより早く戻ってきたから、とっさにそうしてしまったのだろう」などと、あれこれと思いが巡りました。

あの時の経験は無駄ではなかった

 それにしても、人の心は変わりやすいものです。清掃奉仕の時は、公園を使う人や海の生き物のことを思い、神様へのお礼の気持ちで労力を惜しまず動いていたのに、終了した途端、それまでの気持ちがオフの状態になってしまうところがあります。それは何も、彼らだけではなく、私自身も同じなのです。

 現在、剛さんは、サービス業に就いています。お客さまのことを中心に考える実意のこもった仕事ぶりに、職場の人望も厚く、副所長を務めています。
 清志さんにも、人の目を意識せず、自然な動きで町中で目に付いたごみや空き缶を拾うその姿に、感心させられることがしばしばあります。
 「あの時の経験は無駄ではなかったな」。私はその後の二人に接しながら、そう感じています。
 私たちは、ころころと変わりやすい自分の心と向き合いながら、それを良い方向にとどめておくために、信心のけいこを重ねていくことが大切だと、あらためて思います。
 教会では、そうした移ろいやすい心を、お取次を通して整え、より良い生き方ができるよう、お手伝いさせて頂きたいと願っています。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2010/11/11 14:16:07.259 GMT+9



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