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祈りを目に見える形に 【金光新聞】

「母が倒れました」

 5年前の1月下旬の夜のことでした。教会の電話が鳴り、「母が倒れました。今から救急車で病院に向かいます」と連絡が入りました。倒れたのは真里子さん(70)で、電話をしてきたのは、末娘の和子さん(31)でした。
 しばらくして、再び和子さんから電話が入り、「医師の説明では、『くも膜下出血で、病状と年齢を考えると手術自体のリスクも大きく、覚悟しておいてほしい』とのことです」と、動揺した声でお届けがありました。
 その翌日、手術が行われました。手術は成功し、真里子さんは順調に回復に向かっていましたが、そんな中、今度は別の血管が破れたため再手術をすることになりました。最初の手術とは打って変わって、2度目の術後の経過は思わしくありませんでした。このまま元気になってくれるものと思っていただけに、目を開けていても焦点が定まらず、話すことも体を動かすこともできずに、ただ横たわっているだけの母親を看病するのは、つらいことでした。その苦しい胸の内を、和子さんは泣きながら教会のお結界で私に話しました。

 私は心の中で、「神は、人間を救い助けてやろうと思っておられ、このほかには何もないのであるから、人の身の上にけっして無駄事はなされない。信心しているがよい。みな末のおかげになる」という金光教祖のみ教えを唱えていました。「それにしても、2度の手術はいずれも、教会で月例祭が仕えられていた時刻と重なるように行われ、1度目はうまくいったのに2度目は思わしくなかったことを、どう考えたらいいのだろうか」。私は神様に問い掛けるように自問自答していました。

確かなおかげ

 そんなある夜、私は夢を見ました。それは、私が誰かから頭部の治療を受けるという不思議な夢でした。この夢で、真里子さんは神様から最善のお働きを頂く中で手術を受けたに違いないという思いになり、腹を据えることができました。その上で、今私にできることとは何かを考えることにしたのです。
 その後、和子さんから「母はベッドの上で無意識に手を合わせるんです」とお届けがありました。私はこの時、あることを思い付きました。それは、いつも真里子さんと一緒に参拝していた方たちに声を掛け、教会で真里子さんの病気全快を願うご祈念をし、それをカセットテープに録音して、病院で真里子さんに聞いてもらうことでした。
 すると、一進一退を繰り返していた真里子さんでしたが、次第に言葉が交わせるようになり、その後、目を見張るような回復を見せたのです。少し後遺症が残ってはいるものの、リハビリを重ねながら、その年の秋の大祭には教会へ車いすで参拝され、真里子さん本人はもとより、和子さんや病気全快を願ってきたご信徒の方々にとっても、うれしく感激の大祭となりました。

 私は、みんなの祈りが目に見える形になることで、確かなおかげが生まれてきた事実を、目の当たりにさせて頂くことができました。
 私たちが生きていく中では、思いも寄らない出来事にも出合うことがあるかもしれません。たとえどんなことがあっても、末のおかげになるよう日々祈りを深め、それを形に現す生活に、ここからさらに取り組ませてもらいたいと思っています。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2011/01/17 11:20:58.280 GMT+9



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