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神をつえに修行した母 【金光新聞】

何がなんでも助けてもらいたい

 私の母が94年の人生を閉じたのは、平成14年が開けたばかりの新年6日の朝でした。その生涯は波乱に満ちたものでしたが、母の人生にはいつも神様が寄り添っていてくださいました。
 母と父は戦前、四国の田舎から神戸に出て雑貨商を営みました。見知らぬ土地で始めた商売でしたが、やがて人を雇うことができるまでになったころ、太平洋戦争が始まりました。出征した父は、戦地で胸部に銃弾を受けて負傷兵として帰国。戦争末期の神戸大空襲では焼夷(しょうい)弾を受けて一時失明状態となり、家や店も焼失してしまいました。
 その後、一家は四国に引き揚げ、私は末っ子として誕生しました。それから間もなく、父は地元で就職した会社で脊髄損傷という大けがを負い、自分の身体を動かすことができなくなりました。そうした中、今度は長男が急死したのです。次々と起こる難儀を前に、母は「何がなんでも助けてもらいたい」と、決死の覚悟で金光教の教会へ飛び込みました。

 母は早朝3時から2キロ余りを歩いて教会に参拝し、4時のご祈念までに教会長の水行の水くみと清掃をして、夜のご祈念には娘たちを連れて参拝するという毎日を3年余り、欠かすことなく続けました。そうした中で、私の2人の姉は教会修行に入り、続いて金光教学院(金光教の教師養成機関)へ入学しました。最年長の姉はその後、布教に出ました。
 一方、父も薄紙を剝ぐように回復し、生涯松葉づえは放せないと言われた身で、つえをつきながら学院での修行に臨みました。そして、52歳で家族とともに布教に出させて頂きました。
 母は金光教教師ではありませんでしたが、教会長となった父の布教と家庭生活を、その傍らで支え続けました。幼いころの私の目には、父が留守の時に羽織はかまに着替えて神前でご祈念する母の小さな体が、神々しく見えたものでした。

神様とともに

 母は人の助かりを祈り通した人でしたが、80歳になるころから認知症が始まりました。父は自分が大変な時に、誠心誠意世話をしてくれた恩返しだといって、「あなたはこの教会の一子大神様(教祖様の奥様)やからな」と、母の手をさすりながら大切に介護しました。私はその手伝いをしながら、「母のような人がなぜこうなるの? 神様もどうして…」と納得がいかず、時に腹立たしい思いを覚えることもありました。
 そうして14年間、病気と向き合う中で、母の場合は一年一年かわいくぼけていきました。だんだんと歩けなくなり、言葉も出なくなりましたが、トイレに行くと必ず手を合わせてお礼をし、手元にお菓子などがあれば、そばにいる人にあげようとしました。最後まで孫や信者さんたちの手を借りて、お広前で祭典に参拝することもできました。そうした母の姿は、同じように介護の問題を抱えていたご信徒の方々に、安心と希望を与えていきました。

 私は、信心による助かりの輪が広がるということは、こういうことなのだと思っています。母は命の火が消える最後まで、後に続く私たちのために、神様とともに修行してくれていたのだと思います。そして、神と人、人と人とが共に助かる生き方を、その身をもって現し続けてくれたのだと感謝しています。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2011/02/28 09:17:54.620 GMT+9



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