「父がトイレの前でこけて、私一人では起こせません。先生、助けてください!」 それは、半年ほど前のことでした。教会の近くに住む真紀さん
(58)からのただならぬ様子の電話に、私は真紀さん宅へ駆け付けました。
家に入ると、トイレ前の廊下で座り込むような姿勢で身動きできない保夫さん(81)と、泣きそうな顔でへたり込む真紀さんの姿がありました。
真紀さんは12年前に病気で夫を亡くし、3年前には実母との死別を経験しました。子どものない真紀さんは、それから実父である保夫さんと親子二
人で暮らしていました。
しかし、保夫さんは4年ほど前から、持病の糖尿病に加え、心臓病と腎臓病を患い、入退院を繰り返すようになりました。
その治療も限界に近づき、医師から「あと1カ月…。最後まで病院でお世話します」と言われました。この時、保夫さんは一人で食事もでき、介助
があれば歩行もできたので、真紀さんは、自宅で最期を迎えさせてあげたいと、公的な援助は受けず、一人で保夫さんの介護をする決心をしました。
それからの1カ月は、まさに1日24時間付きっきりで介護に当たる日々が続きました。
私は、保夫さんの病状もさることながら、次第に疲労の色が濃くなっていく真紀さんの心と体の健康を、神様に祈らずにはいられませんでした。
保夫さんは元気なころ、自分でご祈念帳を作り、夫婦で日参して、熱心に信心を進めていました。とりわけ一人娘である真紀さんの立ち行きを、いつ
も願われていたのですが、真紀さん自身が教会へ顔を出すことは、当時はほとんどありませんでした。
それが、病身の保夫さんと二人暮らしになってから、先々への不安を感じたのか、心の支えを求めるかのように教会参拝を始めたのです。
保夫さんの介護に手が取られるようになり、教会へ参拝できなくなっていくと、真紀さんは携帯メールで日々の様子を伝えてきました。最初は単な
る報告程度だったものが、次第にそのつらさを訴え、神様の導きを願うものになっていきました。