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「あいよかけよの生活運動」 十年の取り組みを振り返って

金光教報 『天地』 11月号巻頭言

 「あいよかけよの生活運動」は、「神と人とあいよかけよで立ち行くあり方を世界に顕現する」というご神願と、生神金光大神取次の内容をいよいよ明らかに、信心実践をとおしてさらに豊かにしていく必要があるという確認のもと、「われひと共に」という他者認識に基づいた「おみちびき」「お手引き」といった実践や、より社会性を持った信心実践が、一人ひとりの生活のなかに展開されていくことを願って、平成十三年に発足した。
 具体的には、「わが心の神にめざめ 祈り、対話、行動をもって 神を現す生活をすすめ 共に助かる世界を生みだそう」という「願い」を掲げ、その「願い」を全教で共有するが、「よい話をしていく運動」のような実践項目は掲げず、それぞれの教会が主体的、創造的に実践目標を定めて取り組むあり方をもって進めるとされた。そのうえで、この運動は、二十一世紀初頭の課題を視野に収めながら、神と人との間柄の本来的回復を実現するため、世界・人類を生かし支える「天地のいのち」のなかで生きる人間の生き方と、果たすべき使命を提示するものとして、その目指すべき方向性が示された。
 このようにして始まったこの運動は、まず森定内局で、「願い」を全教で共有することが目指され、続く鈴木内局では、その共有化とともに、各教会が実践目標を定めて取り組むあり方が求められた。そのなかで、教区実践目標を定めて運動推進を図る教区も生まれ、平成十七年に運動推進パンフレットが配布され、多くの教会で「願い」の奉唱や、具体的な実践目標を定めた取り組みが地道に進められていった。
 現代社会は、天地のことや神様のことを忘れ、人間中心、経済中心のあり方に覆われている。そこで意識されるのは、もっぱら自分を中心にした人(人間関係)や物(お金)のことばかりであり、そのなかにあって、布教的な活動を進めること自体、大変な苦労や困難をともなうことになる。しかし、信奉者一人ひとりが、運動の「願い」に添った信心実践を真摯(しんし)に求め、全教的に人を「祈る」ことの大切さや尊さが自覚されつつあることは、この十年の運動の成果であり、今後のさらなる展開が願われるところでもあろう。

 一方、教団では、この「運動」が発足して五年目を迎えるころから、平成二十一年の立教百五十年を目指した取り組みが課題化され、それを受けて就任した佐藤内局では、「世界・人類の助かりに向けて、金光大神の信心を求め現す」との基本方針を継承し、副題に「この道のおかげの自覚をもとに、信心生活を進める」と掲げ、「結界取次の充実と助かりの実現」を活動方針の第一課題と位置づけ、合わせて運動推進のことも含めた教団諸活動を進めることとなった。
 そのなかで、平成十九年六月の全教集会では、教祖様の信心の進まれように立ち返って、立教神伝で示された「神も助かり、氏子も立ち行く」世界が生み出される「神人あいよかけよ」の内容を確認し、それを基本方針の副題に関わらせて、「『あいよかけよの生活運動』への取り組みは、信心させていただく私どもとして、『この道のおかげ』を自覚するところから生まれるお礼の心と、さらなる願いに催されて、『神が助かることになり』と神様が仰せられる信心実践を求めていくことに、ほかならない」との押さえ直しを行った。そのうえで、平成二十年三月に運動推進会議を開催し、教会現場の実際との関わりで、「この道のお広前」の意味合いを明確にし、「教会参拝」を基本とした信心生活の展開が大切であることを確認した。
 また、このような確認と併行して、運動推進とお年柄への取り組みを連動させながら教団諸活動を進めることとし、全国四十三会場で開催した「立教百五十年金光教講演会」では、「この道のおかげの自覚をもとに、信心生活を進める」を共通テーマとして取り組んだ。講演会では、各講話それぞれに、講師自身の歩みや「おかげの事実」が振り返られ、神様や取次のありがたさが生き生きと語られるとともに、この道の「助かり」の世界への道標として、「お礼を土台にした信心」の大切さが確認されることとなった。
 さらに、お年柄の一年間は、「立教百五十年御礼祈願詞」を本部広前をはじめ各教会の広前で奉唱させていただくとともに、信行期間を設けての取り組みも進めた。さらに、書籍『取次に生きる』やアニメ『金光さま─とりつぎ物語─』を作成し、「立教百五十年生神金光大神大祭」の直会として全教に配布し、施設整備充実のことにも取り組んだ。
ちなみに、その間、佐藤教務総長が、しばしば「神が助かる」ということに言及してきたのは、先の運動発足時点での確認を踏まえながら、「神と人とあいよかけよで立ち行くあり方」というご神願の教義的な理解を掘り下げ、同時に、「生神金光大神取次の道」の意味合いをいっそう明確にして、この道の信仰基盤に培うことを願ってのことであった。
 こうして、立教百五十年生神金光大神大祭および立教百五十年立教記念祭が麗しく仕えられ、教主金光様が、「あらためて、ご立教にかけられた親神様のおぼしめしと、これを謹んで受けられた教祖様のご信心に思いをいたし、いよいよ神と人とあいよかけよで立ち行く『神人の道』が、一人ひとりの生活に現されてまいりますよう、共々に心を込めてお役に立たせていただきたいと願っております」とのお言葉をお示しくださった。
この「神人の道」は、そのお言葉から、「神人あいよかけよの道」や「氏子あっての神、神あっての氏子、あいよかけよで立ち行く道」、立教神伝で「神も助かり、氏子も立ち行き」と神様が仰せられた信仰世界を表現されたものと頂くことができる。それとともに、この「神人の道」は、立教百五十年を経て、将来に向けての本教信心の指標となるお言葉と頂き、翌平成二十二年から基本方針の副題に、「この道のおかげの自覚をもとに、信心生活を進め、『神人の道』を開く」と掲げ、運動推進のことを連動させながら教団諸活動を進めてきた。
 教主金光様は、ある信奉者に、「縦軸は神様と人、横軸は人と人とがつながっています」とご理解された。縦軸である神様と私の間柄を深め、その内容をもって横軸である人間関係や生活上の問題に取り組んでいくところに、「助かり」の世界が開かれてくるのであり、その筋道が「神人の道」ということであろう。
 一般に、「あいよかけよ」は、人と人との関わりに結びつけて、「ギブ・アンド・テイク」「フィフティー・フィフティー」と受けとめられる。そのため、「神と人とのあいよかけよ」も、その延長としてイメージされてしまうところがあるが、教主金光様は、そのような関係ではないことを明確にお示しくださったのであり、教務教政として、そのおぼしめしを頂いて、教団諸活動に反映させ、具体化させていくことが大切であろう。
 「あいよかけよの生活運動」は、本年末をもって十年の目途を達成するところから、来年以降、この運動の継承と展開としての新運動を発足する必要がある。そこで、以上に述べてきた経緯から、新運動は、立教百五十年を経て、今後いっそうに立教の意義と精神をより確かに、教主金光様のおぼしめしを頂き、まずは平成二十五年の教祖百三十年を目指して来年早々に発足し、将来に向けての本教の方向性を全教で求めていく運動でありたいと願わせられ、その準備を進めてきた。共々に、新運動をとおして、ここからの一人ひとりの信心生活のうえにさらなる展開のおかげをこうむってまいりたい。

メディア 文字 教報 巻頭言 

投稿日時:2011/11/10 09:13:59.406 GMT+9



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