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〝神の前立ち〟の覚悟で 【金光新聞】

「先生、何か怒っていますか」

「今からお参りさせて頂いてよろしいでしょうか」。川上憲一さん(59)からの電話です。私は「はい、大丈夫ですよ」と答えながら、「今日はこれで3回目。ちょっと調子が悪いな」と思いつつ、心中祈念をして憲一さんの参拝を待ちます。
 川上家と教会との縁は、50年ほど前、私の父が布教所を開いてご用をしていた時に、憲一さんのお母さんがお引き寄せ頂いたことに始まります。次々と身内に不幸があり、また、お母さんも手足の指が変形し足の裏がうんでくる難病を患っていたことから、自分の体と川上家の立ち行きを願って、不自由な足を引きずりながら参拝されていました。

 憲一さんは人との付き合いがうまくいかず、仕事が長続きしませんでした。それを心配したお母さんの勧めで、教会に参拝するようになり、やがて自動車教習所の教官の職に就くことができ、結婚して家庭も築きました。
 しかし、5年ほどで離婚。その後再婚したものの、肝炎の発症をきっかけに15年ほど勤めた教習所を辞めざるを得なくなりました。憲一さんの精神状態が不安定になっていったのはそのころからでした。
 それは、父の跡を継いで私が教会長としてご用を始めたころで、彼は時々教会に来ては、「神様のことはよく分かりません。ここには話をしにくるんです」と言って、1時間以上身の上話をして帰るといった参拝でした。この間、次々と職場を変わり、そのたびに心の状態は悪くなっていきました。強迫観念が強く、身体に震えがきて落ち着かない状態でした。
 やがて、憲一さんが毎日参拝してくるようになったある日のことです。
 いつものように教会で、自分のつらさを延々と話す憲一さんに、私が「神様が分からなくても、神様が必要としてくださっているから、今こうして生きているのよ」と言いました。
 すると、「先生、何か怒っていますか」と憲一さんが言ったのです。私は「そんなことないですよ」と笑顔で返しましたが、心の中を見透かされたような気がして、内心どきっとしました。

日々がさら

 それからしばらくして、『金光教教典』を開いていると、一つのみ教えが私の目に留まりました。
 それは、「子守の意地(機嫌)が悪ければ、背の子も意地が悪い。神の取次をする者は、心を清浄に、身持ちを正しくせよ。神の前立ちと子守とは同じことである」というみ教えです。
 私は、憲一さんとの過日のやりとりを思い出しました。そして、取次者として申し訳なかったと、神様におわびしたのです。
 日によって、心に波があるのは憲一さんだけでなく、私も同じです。ご用がありがたいと思える時ばかりではありませんが、神の前立ちとして、しっかりさせてもらわなければ、と思いました。

「今は先が見えず、つらい日々でも、穏やかな日が来るのを楽しみに頑張ろうよ」。私が憲一さんにそう話すと、泣き出しそうな顔に笑顔を作りながら、「先生、ありがとうございました」とお礼を述べて、帰っていかれます。
 「先生、つらいです」と言って、胸の内にある苦しさを教会で吐き出す憲一さんですが、大好きな「日々(にちにち)がさら(新しい)」というみ教えを支えに、現在も参拝を続けています。
メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2011/12/04 11:01:49.501 GMT+9



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