7年前の7月、私は叔父に当たる教会長先生(当時60)の体調異変を知らされました。検査の結果、胃がんと分かり、早速手術を受けましたが、すでに体中にがんが転移していて、余命3カ月という衝撃的な診断が伝えられました。
手術後、教会長先生は一日も早く教会ご用に復帰したいと、体力が回復する前から病棟の廊下を歩いたり階段を上ったり、病室で屈伸運動や腕立て伏せをしていました。
手術から1カ月後、いったん退院して、今まで通りに教会のご用をされ、10月10日には、金光教本部の生神金光大神大祭へ参拝されました。
そして、余命3カ月と言われた、ちょうど3カ月後に仕えられた教会の生神金光大神大祭には、祭主として臨まれ、祭典後には張りのある声で教話をし、次のように話されました。
手術後、点滴を付けてですがトイレに自分で歩いていけるようになりました。
病院は体の具合の悪い人たちばかりですから無理もないことだと思いますが、トイレのスリッパが四方八方に散らばっていました。
私も最初は歩くのがやっとでしたが、体力が回復していく中で、何かご用に立たせて頂きたいと思っていました。
その時、そうだ、トイレに行った時にスリッパをそろえさせてもらおう、という気持ちになりました。
そうして、病院でつらい思いをしている人たちに少しでも楽にスリッパを履いてもらえるようにと思って、スリッパをそろえておりました。
最初のうちは、10足くらいあるバラバラに散乱したスリッパを毎回、点滴の管が付いている状態でしゃがみこんで、きれいにそろえさせてもらっていました。
それが、1週間、10日とたつうちに、不思議なことにだんだんとスリッパの乱れが治まってきたのです。
それまで散らばるようにあったスリッパが、少しずつ整った状態になっていき、中には、脱ぐ時にきちんとそろえる方の姿も見られるようになってきました。手術後から退院するまでの1カ月ほどの間に、そういう形でスリッパが整っていきました。
小さなことではあるけれども、これが心が形に表れるということだと、私は思います。