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平成二十四年を振り返って

金光教報 『天地』 12月号巻頭言

 本年も後わずかとなり、いよいよ明年には教祖金光大神様の130年のお年柄をお迎えする。
 教祖様は、ご帰幽の直前、神様から「人民のため、大願の氏子助けるため、身代わりに神がさする、金光大神ひれいのため」とのお知らせを頂かれ、明治16年10月10日にお国替えになった。かねてより仰せになっていた「金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる」とのお言葉そのままに、永世生きどおしの取次の神として、今も私どもの願いを神様に、神様の願いを私どもに、取次いでくださっている。そして、教祖様に始まる生神金光大神取次の道は、本部広前における歴代金光様のご祈念、御取次として具現されており、私どもが日々、おかげをこうむらせていただいていることは、真にありがたいことである。
 前佐藤内局では、発足当初から、教団の実質である各教会が、全教的に教会布教上の厳しい問題を抱えているという現実を踏まえて、結界取次の充実と教会布教の展開を求めていくことは、教団として喫緊の最重要課題であると位置付け、活動方針の一番目に「結界取次の充実と助かりの実現」を掲げて、取り組んできた。本年、本部では、『取次に生きる Ⅲ』の作成に取り組んでおり、教区、教会連合会などでは、既刊の『取次に生きる』を活用しての研修が進められている。
 このことは、学院教育のあり方について審議した第八期教育審議会でも求められたことである。同審議会では、生神金光大神取次の中心は結界取次であり、教師の基本は結界取次者である、との確認がなされた。全教の祈りと働きのもと、生涯かけて道を伝え広げいく働きを担う教師を養成する機関として、教師の基本である結界取次者として必要な基礎的内容を養うことに重点を置いた学院教育が行われることになる。
 また、本年1月1日に、「神人あいよかけよの生活運動」が発足した。この運動は、立教150年のお年柄に教主金光様がお示しくださった「神人の道」とのおぼしめしを、ここからの信心の指標と頂いての新たな信心運動である。6月の教団独立記念祭時の全教集会を機に、いよいよ全教挙げて取り組みを進めさせていただこうとしていた大切な時期に、佐藤光俊前教務総長が帰幽されたことは、誠に残念なことであった。
 現内局でも、佐藤内局による教団の現状とここからの展望についての認識を同じくするところから、前内局が進めてきた教政教務を継承し、さらに展開していくことを願いとしている。
 今日の社会では、経済が低迷するなかで、価値観の多様化と相対化、「無縁社会」と呼ばれるような人間関係の希薄化、人命を軽視した事件の続発など、科学技術の進歩にかかわらず、人間の難儀は減るどころか、ますます深刻化してきていると言わざるをえない。その原因としては、経済の原理が優先され、効率のみが価値あるとされる社会のあり方など、さまざまな要因が挙げられるが、その根底には、人間をはじめ万物を生かし育んでくださっている天地の親神様の恩徳のなかに生かされている人間である、との自覚が欠如していることに、その根本原因を求めることができるであろう。
 天地金乃神様は、そのような人間の姿に、「天地の間に氏子おっておかげを知らず」とも、「わが力で何事もやり」とも仰せになって、人間の難儀の原因をお知らせくださり、いよいよ信心をしておかげを受け、助かり立ち行くことを願ってくださっている。このお道にご縁を頂いている私ども信奉者は、立教150年生神金光大神大祭時に教主金光様がお示しくださった、「あらためて、ご立教にかけられた親神様のおぼしめしと、これを謹んで受けられた教祖様のご信心に思いをいたし、いよいよ神と人とあいよかけよで立ち行く『神人の道』が、一人ひとりの生活に現されてまいりますよう、共々に心を込めてお役に立たせていただきたいと願っております」とのおぼしめしを頂き、「神も助かり氏子も立ち行き」と仰せられる神様の願いが成就する信心へと、お育てを頂いていかなければと願わせられるのである。
 「運動」の願いである、真剣に御取次を願い頂き、広大な天地金乃神様のおかげにめざめ、お礼と喜びの生活をすすめ、人を祈り、助け、導き、神人共に助かり、立ち行く信心に取り組む。その内容を持って、明年の教祖様130年のお年柄を迎えさせていただきたい、と願うものである。





投稿日時:2012/12/03 13:48:44.282 GMT+9



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