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霊地での研修に願われるもの

金光教報 『天地』 巻頭言

 静まりかえった午前三時四十五分のご霊地、静寂のなか、提灯(ちょうちん)の明かりを先頭に教主金光様のお出ましのお姿が見えはじめる。
 教主金光様の後ろには、前教主金光様、三代金光様、さらに金光四神様、そして教祖金光大神様が共にお出ましになっておられるであろうと思う時、本部広前神前奉仕に向かわれる金光様のお姿に、立教以来百五十四年、一日も途絶えることなく続く、尊くも厳しき生神金光大神取次の業のありがたさを感ぜずにはおれない。
 さらに、百五十四年のお徳とともにご奉仕くださる本部広前の結界取次を頂いて、全教の広前の結界奉仕が仕えられ、多くの氏子が今日も助かりへと導かれていくことを思うと、そのありがたさがひとしお、身に染みてくるのである。
 今年に入ってご霊地では、各教区、教会連合会、教会、その他の団体などによる金光北ウイングを活用した教祖百三十年研修が実施されているが、この研修に限らず修徳殿入殿をはじめ、新任教会長研修会や五年および二十年の教師研修会、そして教師セミナーなど、ご霊地で行われる研修は、このお出ましに始まる教主金光様の、生神金光大神取次の業のお膝元で行われるのである。
 ある教会の初代夫人が、「この地から東のほうに向かって、幅三間もあろうかと思われるほど大きい、そして、長い長い用水樋がかかっていました。水はその底をゴウゴウと流れております。それなのに東のほうを遠く眺めますと、何百町という広い田に植え付けられている早苗が、みな干し上がって枯れかかっております。その樋をよく注意して見ると、樋の中ほどが破れて、恐ろしい勢いで水が外のほうに流れ落ちておる」という光景の夢を見られた。
 それを頂かれたある教会の先生は、「枯渇した精神界に神の恵みを注ぎ、信心の苗を植え付けて麗しい実を結ばせるのが、この道のお取次であります。その神の恵みは、手続きの親教会から子教会に向かって流れていくものであります。私は、その恵みの水を通過させる樋に過ぎません。その樋が破れ、水が漏っているので、せっかく植え付けた早苗が枯れかかっております」と師匠にわび、さらなる修行に打ち込まれ、おかげを頂かれたという伝えがある。
 思うに、ご霊地から各教会に向かって長い長い用水樋が架かっていて、その樋の中を流れる恵みの水(お徳)の源は、ご霊地・教主金光様の御取次にあるのである。
 戦後間もない冬の日、ある教師が、さまざまな気の滅入る状況に心身ともに疲弊し、矢も盾もたまらなくなって夜行列車に飛び乗り、ご霊地に向かった。翌朝、金光に着き、まだ薄暗いなかを本部に急ぎ、本部広前の敷居を越そうとした瞬間、その教師の目に飛び込んできたものは、お結界の座にぴったりとお座りくだされている金光様のお姿であった。
 「しおれきっていた私の性根のなかに、それはまったく一瞬といってよい、稲妻のごとき生気のみ光が染みおとおってきて、熱い思いが胸底から涙となって込み上げ、… 来る時とは打って変わって、全身に生き生きとした力の響きを感じながら、教会に帰り着かせてもらったのである」と、その教師は語っている。
 教師研修会の場で、「このままでよいとは思わないが、何をしてよいのか分からない」「分かってはいるが、その一歩が踏み出せない」という声を聞くことが多いが、そうであれば、そういう悩みを持ったまま、ぜひご霊地で行われる研修に参加していただきたいし、また、ご霊地での研修を計画していただきたい。
 教祖様以来御五代にわたる、御取次のお徳とごひれいに満ちているご霊地で行われる研修に参加し、目に見えぬそのお徳に浸るなかで、理屈や頭だけで考える世界から一歩踏み出し、お出ましを拝し、金光様のご祈念を共に頂き、講話を聴き、おかげの自覚を深め、境内地を清める洒さい掃そうに汗を流す時、何かが見え出すかもしれないし、何かが変わりはじめるのではないだろうか。あるいは、一歩踏み出すきっかけになるかもしれない。
 厳しい現実の前に、時に迷い、時に滅入ることがあっても、長い長い用水樋の最先端でご用を頂く自分であることを忘れず、その大本を訪ねて、ご霊地のお徳に浸り、新たなる勇気と元気を頂いて、まさしく「ご霊地から信心の風を」興してまいりたい。

投稿日時:2013/01/31 14:58:53.213 GMT+9



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