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今がお役に立つ「その時」【金光新聞】

初めての闘病生活

 私( 58)は5年前、大病を患い、数回に分けての入院・治療に専念することを余儀なくされました。それまで大きな病気をすることもなく、健康のおかげを頂いてきた私にとって、初めての闘病生活です。
 そうして治療を続ける中で、医師の言葉に一喜一憂したり、心を強く持って治療に取り組もうと思いながらも不安が先立ち、悪い方へと考えてしまったりと、絶えず心が揺れ動きました。
 そうした繰り返しの中で、「人間の計らいではどうすることもできないことが、人生にはある」という思いになり、私はいよいよ神様におすがりし、神様のおかげを受けていくしかないと心を決めました。そして、「教祖様のみ教えをもう一度頂き直してみよう」という気持ちになりました。
 
 この時、教祖様が神様から取次の業を託された「立教神伝」(*)のことが、私の中であらためて気になりだしました。
 その文言の中には、「其方(そのほう=教祖様)四十二歳の年には、病気で医師も手を放し、心配いたし、神仏願い、おかげで全快いたし。その時死んだと思うて欲を放して、天地金乃神(てんちかねのかみ)を助けてくれ…」というくだりがあります。
 教祖様が立教神伝を受けられたのは46歳の時のことですが、その4年前にのどけ4 4 4 という病気(のどの内部が腫れる病気)にかかられ、医師から「九死に一生」と宣告されます。
 この時、教祖様は凡夫ゆえの知らず知らずの無礼を素直にわびられたところから、思いもかけない働きが現れ、「信心の徳をもって神が助けてやる」と、神様の思いが伝えられました。
 この大患を機に、教祖様は神様の仰せ通りに生きる人生へと一大転換されたのです。
 
 (*)立教神伝=1859年10月21日(新暦では11月15日)、神様から教祖様へ下った、農業をやめて取次に専念するよう依頼するお知らせ。教団ではこの日を金光教の立教と定めている。 

「立教神伝」を頂き直す

 その教祖様のご事跡が、病床の自分の境遇とどこかダブるような気がしました。そして、私の身の上に今起こっていることも、まさに「その時死んだと思うて」の「その時」なのではないかと感じたのです。
 であれば、神様が助かるご用に立たせて頂いてこそ、私の命はあるのだと思いました。
 それは、「助かってほしい」「幸せになってほしい」という神様の願いを人に伝え、神様の働きを頂いて生きていく道を世に広く現していくことだと思い、「そのお役に立たせてください」と日々お願いしながら、治療に専念しました。
 また、入院中には、「今、自分にもしものことがあったら、何が残せるだろうか」と、そんなこともしばしば考えました。
 教祖様のみ教えに、「先の世までも持っていかれ、子孫までも残るものは神徳である。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。神徳は尽きることがない」とありますが、ここで言われている神徳とは何なのだろうと、このこともあらためて考えさせられています。

 私は現在、治癒とまではいきませんが、教会のご用を不都合なく仕えさせて頂いています。
 病気であってもなくても、神様を慕いすがって、喜びを広げる生き方をさせて頂けるよう、信心の稽古に励んでいきたいと思います。
メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2013/03/06 15:58:00.332 GMT+9



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