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 「運動」全教集会の開催に当たって

金光教報 『天地』 6月号 巻頭言

「神人あいよかけよの生活運動」が発足して一年以上が経過し、教区、教会連合会、教会での前向きな取り組みの報告が上がってきている。その内容はさまざまだが、とりわけ多いのがご祈念時などでの「願い」の奉唱である。
 神様に向かい、奉唱を繰り返すことで、「運動」の「願い」が自らの願いとなって深められ、また、「願い」の内容に沿った信心生活になるようにと祈りを込めることで、最初の歩み出しにつながっていくということであろう。
 「願い」については、「この道の助かりの筋道を端的に表現したもの」として示しているが、「これまでのお道の信心そのものであり、内容がよく分かる」とか、「あらためて『願い』に照らすことにより、自らの信心の確認ができる」といった声も聞かれる。
 一方で、「『願い』は理解できるとして、その内容の奥深さを求めれば求めるほど、それを実践することの容易ならざるを痛感させられる」との声もある。一行一行に示された内容は、これまでの私たちの信心生活に日常化したことであり、今日までその実践を続けてきたつもりであるが、あらためて生活の実際がこの「願い」の内容に沿っているかと問われた時、できていないことに気づかされるということであろう。
 しかし、できていないということで止まらず、神様に祈りながら、「願い」に沿って信心の稽古を繰り返すことが、このたびの「運動」で求められているのではないか。

 ある先師が奉仕されるお広前に、一人の女性が重苦しい表情で参拝した。女性は幼い頃、胸の病で医師からもさじを投げられたが、師の手厚いご祈念を頂いて元気になり、結婚のおかげを頂くまでになった。
 ところが、長男が三歳の時、急病で亡くなった。その頃、夫も闘病生活をしており、病状の改善が見られないなか、悲嘆に暮れた女性は教会にお参りし、お取次を願いながら、先生の前で泣き崩れてしまった。
 先生は、女性が泣き止むまでじっと祈りながら待たれ、次のようにおっしゃった。
 「あんたのつらいこと、途方に暮れておることは、神様はよくご承知である。私もよく知っておるから、今日からは一切、つらい、困ったことは言うて来なくてよろしい。ありがたいこと、うれしいことを聞かせてくれよ。それを神様も待っておる。私も待っておるからなあ」

 その祈りを込めた言葉は、女性の胸に染み入り、「本当にそうであった。幼い頃、医師からとても長生きはしないと見放された私が、親になっている。病気といっても、夫がいる。それを今まで当たり前のこととして、いつでも教会にお参りする時は、『困りました。助けてください』とお願いするばかりの私であった」と思い至った。その日から女性は、教会にお参りするたび、「先生、ありがとうございます。このようにお繰り合わせを頂きました。このようにしのがせていただいています」と、うれしいこと、ありがたいことを先生に聞いていただく生活を進めた。
 その数年後、夫は亡くなったが、苦難のなかにも女性は、その時の先生の言葉を頂いて、お礼を見つけ、喜びを見いだす稽古を続けた。
 そうした信心ぶりを、先生は、「あんたはおかげを頂く。あんたの一番つらい、途方に暮れている時に、私が言ったことを守りとおした。針ほどのことを棒ほどに喜ぶ者は、棒ほどのおかげを受ける。棒ほどのことを針ほどにしか喜ばん者は、針ほどのおかげしかよう受けん。しかし、あんたは、いつでも針ほどのことを棒ほどに喜んでお礼を言う。あんたはきっとおかげを頂く。あんたの代でおかげをよう受けなんだら子の代で、子の代でよう受けなんだら孫の代で、必ずおかげが頂ける」と、励まし続けられた。
 そうした教えに支えられながら、女性はその後、五十数年にわたって参拝を続けたが、一度も「つらい」「困った」と言うことなくお礼と喜びの生活を進め、そうしたありように触れた周囲の人たちが、その祈りと言葉によって助かっていったということである。

 私たちは、時として目の前の問題の大きさにとらわれ、神様から頂いているおかげの事実を見失ってしまうことがある。しかし、そうしたなかにも御取次の働きによって、見えなくなっているおかげの事実、神様のおかげに包まれている今に、気づくことができる。そして、お礼と喜びを見つけ、生み出していくあり方を進める信心実践に取り組むうちに、おのずと神心が発揚されて、自分自身だけでなく周囲の人も助かる「神人の道」が生まれてくるのである。
 このような道の信心による助かりの実際を踏まえ、来る六月九日、教団独立記念祭に併せて、「神人あいよかけよの生活運動」全教集会を開催させていただく。集会をとおして、「運動」の「願い」、とりわけ「お礼と喜びの生活をすすめ」ることを、あらためて求めていきたい。そして、ここから一人ひとりの生活に、神も助かり氏子も立ち行く「神人の道」が現されてくるおかげを頂いてまいりたい。

投稿日時:2013/06/03 13:35:58.204 GMT+9



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