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代重ね伝わる感謝の形【金光新聞】

「きょうのお供えは、僕のお小遣いからなんだよ」

 真人くんの8歳の誕生日に、母親の理香子さんが真人くんを連れて、私の奉仕する教会に参拝してきました。
 お結界の前で、真人くんは自分で名前を書いた〝奉〟(たてまつる=お供え)を差し出しました。その横に並んで座る理香子さんは、真人くんが元気に誕生日を迎えることができたことと、自分も親として8歳にならせて頂いたというお礼をしました。真人くんも「ありがとうございます」と頭を下げると、「先生、きょうのお供えは、僕のお小遣いからなんだよ」と言ったのです。
 真人くんは、平仮名が書けるようになってからは、自分で名前を書き、誕生日や学期の始めと終わりなどに、神様へお礼のお供えをしていました。私は、折々に神様への感謝を形に現す理香子さん親子の姿勢をありがたく感じていましたが、今回は、真人くんが自分のお小遣いからお供えができたことに感心しました。

 後日、私はこのことには大きな願いが掛かっていたことを知りました。
 真人くんのお供えには千円札が一枚入っていましたが、それは、理香子さんの実家のお母さん(真人くんの祖母)からもらった誕生祝いの中からお供えしたものでした。おばあさんからはお祝いとして千円札で5枚をもらい、その中から真人くんは千円を神様にお供えし、2千円を貯金、そして残りの2千円で自分の欲しい本を買うと決めて、教会に参拝したのです。
 自分にもらったお祝いを、真人くんがそのように扱ってくれたことを、理香子さんは何よりもうれしく思いました。なぜなら、理香子さんは千円札であることに込められたお母さんの願いを知っていたからです。

代を重ね、長い時間をかけて願われてきたこと

 実は、理香子さんも子どものころ、親からのお祝いは、金額は1万円や5千円であっても、いつも千円札でもらっていました。そこには、神様へ感謝の気持ちを込めて自分でお供えができるようになってほしいという、親としての願いが込められていたことを、理香子さんは嫁ぐ時に、お母さんから聞いていたのでした。
 以来、理香子さんは、自分も親になった時には、お母さんと同じ願いを子どもに掛けたいと思っていたのです。だからこそ、誕生日に真人くんが自らお供えすると言った時には、心の底から込み上げてくるものがあったのです。
 理香子さんは、お母さんに今回のことを伝えると、「それは本当にありがたいことだったね」と大変喜んでくれました。そして、「もし、次に同じようにしなくても、『この前はできたのに、今度はしないの?』と、親がさせるようなことを言っては駄目よ」と、どこまでも神様の願いに沿った親の在り方を促しました。

 私は、今回のことが、代を重ね、長い時間をかけて願われてきたことの現れであったことに、祈りの尊さを強く感じました。誰しも親は子どものことを願いますが、「言って聞かせる」という親の見識や押し付けではなく、子どもの中に神様への感謝の心が芽生えるよう、親として辛抱強く祈ることが大切だと、あらためて教えられました。
 誕生日から2カ月が過ぎ、新学期を迎えた日、真人くんは一人でお結界に進み、自分でお届けができました。そしてその後ろには、その様子をうれしそうに見守る理香子さんの姿がありました。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2013/08/07 10:54:54.536 GMT+9



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