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秋季霊祭を迎えて

金光教報 『天地』 9月号 巻頭言

 秋分の日を迎える九月となり、本部広前をはじめ各地の教会で秋季霊祭が仕えられる。
 教祖様は、「木のもとへ肥料をやれば、枝振りまで栄える。先祖や親を大切にすれば繁盛させてくださる」とみ教えくださっている。霊祭は、亡くなられた御み霊たま様方にお礼を申し上げるとともに、御霊様として、ここからいっそうにお働きくださるようお願いさせていただくことに、その意義がある。さらに申せば、私たちが、御霊様が救われ、喜んでくださるような信心になっているかどうか、自らを問うこともまた、その大切な心得であろう。

 教祖様が現されたご信心と御霊様とのかかわりについては、いくつかの特色がある。
 一つは、「(人間は)神の分け御霊を授けてもらい、肉体を与えてもらって、この世へ生まれて来ているのである」「死ぬというのは、みな神のもとへ帰るのである。魂は生き通しであるが、体は死ぬ。体は地から生じて、もとの地に帰るが、魂は天から授けられて、また天へ帰るのである。死ぬというのは、魂と体とが分かれることである」とみ教えくださっている。つまり、人間は、生きている間にすでに御霊(魂)を頂いており、それは生きても死んでも生き通しなのである。
 さらに、「生神とは、ここに神が生まれるということで、金光大神がおかげの受けはじめである。みなもそのとおりにおかげが受けられる」「金光大神も、あなた方と同じ生身の人間である。信心しておかげを受けているまでのことである。あなたも、神の仰せどおり真一心に信心しておかげを受け、人を助けて神にならせてもらうがよい」とある。このみ諭しのままに信心を進め、亡くなられた御霊様は、教祖様がご自身について、「月も雲に隠れることがあろう。隠れても月は雲の上にある」「体がなくなれば、願う所に行って人々を助けてやる」と仰せられたように、死後も生き通しの働きを現し続けてくださっている。
 いま一つは、たとえ不幸なお亡くなり方をされた御霊であっても、生きている者の信心によって救われるということである。
 教祖様は、「立教神伝」を受けられる前年の安政五年七月十三日、盆で先祖の精霊を迎えて供養する日の夕方、次のようなお知らせを頂かれた。「金乃神様お知らせあり。家内中へ、うしろ(大橋家)本家より八兵衛と申す人、この屋敷へ分かれ、先祖を教え。戌の年さん、お前が来てくれられたで、この家も立ち行くようになり、ありがたし。精霊御礼申しあげ」。このように教祖様のご信心によって、先祖が立ち行くようになり、養家の不運な過去に道がついたのである。
 教祖様は、そのご体験とその後の信心のご進展から、「ご信心しておくがよい。ご信心してあなたがおかげを受けると、あなただけではない、後々の孫、ひ孫の末の末までがおかげを受けるし、また、ご祖先ご祖先の精霊御霊までが、あなたがご信心して、おかげを受けてくれるからと、安心してお浮かびなさる。あなたの受けたおかげは、いつまでも離れずについてゆくものじゃから、できるだけこの世でご信心して、おかげのもとを作っておくがよい」とご理解くださっている。
 ご神命により、明治二年から、「先祖祭り」が金光大神祭りの日に合わせて仕えられるようになった。金光大神の祭り日は、教祖様が現されるようになった取次の働きにお礼を申される日であったが、その日に先祖の祭りを行うことで、死して後も取次の働きによって御霊として助かっていくことを悟らされるのであり、それは先祖の御霊様方にとって、このうえもなくありがたいことであっただろう。

 先日、百三歳の母親を一人で介護している方が、「母と一緒にいると、私が母の世話をしているのではなく、実は母に見守ってもらっているような気がします」と言われた。何とも素晴らしい気づきである。
 霊祭をお仕えするに当たり、御霊様に心を向けている私たち自身が、御霊様方のお徳のなかで、この道にご縁を頂き、信心させていただいて、神様のおかげをこうむっているのである、との思いを持たせていただくことが大切である。
 御霊様方は、私たちのなかに立ち現れ、私たちをとおして、その働きを現したいと願っておられるはずである。あらためて、その御霊様方のご信心、お心に思いを寄せ、御霊様方が求められ、現そうとされたご神願成就のお役に、私どもも共に立たせていただきたいと願うものである。

投稿日時:2013/09/05 10:36:16.813 GMT+9



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