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おかげの中での生と死 【金光新聞】

お弁当を持って、お花見に行こうね

 私には現在、きょうだいはいませんが、本当は下に3人の弟妹がありました。
 上の弟と妹は、生まれてすぐに亡くなったそうです。下の弟の真治は、私の五つ年下でしたが、病気のために4カ月間入院した後、家族が楽しみにしていた小学校に入学する年の1月1日、6歳で亡くなりました。
 真治は、家族はもちろん、教会に参拝される方や幼稚園の友達、近所の人たち皆から愛される、明るくて優しい元気な男の子でした。私たち兄弟はとても仲が良く、真治が亡くなった時、私は小学5年生でしたが、本当に悲しかったのを覚えています。
 40年たった今も、ご霊前で毎日、真治のことを思い、弟がいたらどんなによかっただろうと思うと同時に、3人のわが子を亡くした両親の悲しみはどれほどのものだったかと思うのです。

 昨年4月のある日の夕方、私は所用で母を車に乗せて出掛けました。用事を済ませた後、まだお花見をしていなかったので、少しだけ桜を見に行こうと、市内にある桜の名所に立ち寄りました。桜がちょうど満開で、短い時間でしたが桜花らんまんの景色を楽しむことができました。
 その帰りの車中で、母がこんな話をしました。
 「真治がね、親には内緒で、幼稚園の友達と山の公園に桜を見に行ったことがあってね。それで真治が帰ってきた時に、『おかあちゃん、お弁当を持たんでも、お花見ができたよ』と言ったんよ。
私が真治に、『お弁当を持って、お花見に行こうね』と言っていたものだからね」
 母がそう言うのを聞いて、私は弟が6歳で亡くなったということは分かっていたけれども、その時初めて、「弟は物心ついてから、いったい何回、桜の花を見ることができたのだろうか」と考えさせられました。そして「なんて短い弟の命だったんだろう」と、あらためて思ったのです。
 「お花見をしたのはその時だけだったかもしれない」。そう思うと、とてもかわいそうで、車を運転しながら思わず涙が出てきました。

神様のおかげの中で

 では、そんな弟の6年間の人生は、意味のないものだったのでしょうか。また、生まれてすぐに亡くなった2人の弟妹の命は、意味のないものだったのでしょうか。神様にお礼を言う必要のない人生だったのでしょうか。
 「霊前拝詞」では、「遠く久しき天地(あめつち)にまたなき生命享(いのちう)けまして、現身(うつそみ)の齢(よわい)の長き短きほどほどに、負いもつ務めに勤しみたまいし一代のみあとは永久(とわ)に遺(のこ)りて…」と唱えさせて頂いています。
 母とお花見をした帰りの車中で、弟は母と私のそばに確かに現れてくれていましたし、いつでもどこにいても思い出すたびに、私の心の中に6歳の弟が生きていてくれるのです。
 ですから、生まれてすぐに亡くなったとはいえ、それはありがたい、意味のある命だったのだと、私は思います。

 身近な者を亡くすことはとても悲しいことですが、同時に人間の生き死には、人間ではどうすることもできない神様の領分です。
 人の生き死にを通して、神様のおかげの中で生まれ、育ち、そして死んでいくお互いであることを思い、そこに神様のお働き、神様のご恩を分からせて頂く生き方をさせてもらいたいと思います。 
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2013/10/25 10:49:19.366 GMT+9



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