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三代金光様が現しくださった生神金光大神御取次

金光教報『天地』 11月号巻頭言

 教祖百三十年生神金光大神大祭が、教主金光様ご祭主のもと、四回にわたって本部広前で執り行われ、そのごひれいを頂いて、各地のお広前でご大祭が奉仕されている。
 生神金光大神大祭は、教祖様のお徳を称え、教祖様が現してくださった永世生き通しの生神金光大神取次をあらためて頂き、私たちもそのお働きを現していくことを祈願する祭典である。
 そうした生神金光大神取次を、それぞれの時代において具現されたのが、教祖様のみ跡を受けられた二代金光四神様、三代金光攝胤様、四代金光鑑太郎様、そして、現教主金光平輝様である。その御取次によって、この道の信心が確かにさせられ、その内容を深く頂くことができ、信心のおかげを頂いてきたのである。
 とりわけ、今年五十年の式年をお迎えしている三代金光様は、数え年十四歳にして、四神様のみ跡を受けてご用に当たられることとなった。最初の頃には、御取次を頂く参拝者の思いのなかに、教祖様や四神様のような御取次のあられようを期待していたところがあったようである。たとえば、ある教師は、「教祖様、四神様はよくみ教えをくだされましたが、あなたは一向にお話をくださいませんが」とお尋ねしたという。
 それに対して、三代金光様は、「教祖様、四神様はみ教えをされましたから、私はそれを実行させていただきます」とお答えになったという。教祖様、四神様への思慕の念に理解を示されながらも、どこまでも生神金光大神取次を求め現すことを自らの使命とされ、み教えを行ずることで身をもって顕現しようとされたのである。
 三代金光様のご生涯は決して平坦な道ではなく、お身内の事柄をはじめとして、教団の内外には大変厳しい問題が起こりとおしたが、そうした事柄をまさに信心辛抱をもって受けきっていかれ、七十年の長きにわたってご神勤くださった。その御取次と御祈念によって、多くの人たちが救い助けられ、教勢は拡大し、全国津々浦々に、さらには海外にまでも教会が誕生していったのである。
 ある先師は、戦後の教会実情の厳しさと、周囲の状況の変化からわき出てくる先々への不安を抱え、教会の看板をも外したいほどの思いになった。その進退きわまったなかで、夜行列車に飛び乗り、本部広前に向かった。そこで三代金光様のご神勤の姿勢に触れ、その時の思いを次のように記している。
 「ちょうどお広前の敷居を越そうとした瞬間、真っ先に私のまなこに飛び込んできたのが、お結界の座にピッタリとお座りくだされている金光様のお姿であった。しおれきっていた私の性根のなかに、それはまったく一瞬といってよい、稲妻(いなずま)のごとき生気のみ光が染み通ってきて、そのままその場にへたばりついてしまった。熱い思いが胸底から涙となって込み上げてきて、声にも言葉にもならない。もう、それっきりで、お側へもよう近づけないまま、ただ心中で挨拶を申し上げたのみで、そのまま下がらせてもらうことにした。来る時とは打って変わって、全身に生き生きとした力の響きを感じながら、教会に帰り着かせてもらったのである」
 そのような思いになってからの師の広前でのご用のあり方は、それまでと大きく異なって、どっしりと力の入った、揺れ動くことのない姿勢へと変わっていったという。
 三代金光様のご神勤ぶりは、教祖様、四神様に神習われて、ただひたすらにお結界の座に座り続け、祈り続けられたお姿であった。そのことを坦々と行じておられることから、特別なことのようには思えないかもしれない。しかし、それを形なりにいささかでも真似(まね)をし、行じようと取り組む時、坦々と見える常なるご用が、いかに大変で厳しいものであるかを実感させられる。そして、そのことを行じられていく先の「なんぼうお礼を申しても足りない」という境地を、次のようなお言葉でお示しくださっている。
 「はじめのうちは、つろうてつろうて、よう泣きましたがなあ。親様の教えを守らしてもろうて、泣く泣くしんぼうしいしいに、すわっとりましたら、ほしいものも、考えることも、いつの間にか無くなりましてなあ。ありがとうてありがとうてならぬようになり、なんぼうお礼を申してもたりませんのじゃ。お礼のたりませぬおわびばかりしておりますが、もったいないことであります」
 このような三代金光様のご信心に触れて、先師たちは生きる力を得、そのお姿に神習い、神様のご用として人が助かるご用に邁進していかれたのである。
 三代金光様五十年というお年柄に当たり、あらためてそのご信心を求め頂き直して、私たちの信心を進めさせていただきたいと願うものである。

投稿日時:2013/11/07 11:15:54.299 GMT+9



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