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おかげの扉を閉めずに【金光新聞】

「何とありがたい神様だろう」

 山田鈴子さんは現在94歳。私がご用する教会で、最高齢の信者さんです。
 高齢の方はもちろん若い人も、山田さんの冗談に笑い、「ばあちゃんに今日も元気をもらった」と喜ばれ、また、張りのあるご祈念の声に圧倒されています。
 鈴子さんは山田家の信心初代です。苦労を重ねて三女一男を育て上げ、夫の定年が近づいたころ、友人から金光様の話を聞くようになりました。対人関係など、悩みを抱えていたこともあって、鈴子さんは迷うことなく教会参拝を始めました。
 保守的で厳格な家庭に育ち、迷信や因習を気にしていた鈴子さんは、教会で話を聞きながら、心の和らぎを感じました。「この神様は、どんなことでも、願えば聞き届けてくださる。これまでは、信心しておかげのあることが不思議だと思われていたが、この神様はそうではない。おかげのないことが、むしろ不思議なこと」と教えられ、「何とありがたい神様だろう」と感じ入り、早朝参拝に励みました。

 数年後、定年を迎えた夫としゅうとめ、伯母と岡山県にある金光教本部の大祭に参拝しました。
 それから間もなく、夫が鬱(うつ)状態になり、毎日、「苦しい、死にたい」と訴えるようになりました。鈴子さんは夜も眠れずにいる夫を支え続けましたが、「つらい」と思うこともたびたびでした。その中を「神様が助けてくださる。金光様が付いていてくださる」と一心に祈り、世話を続けました。そうして3年が過ぎるころ、夫は次第に落ち着きを見せ始め、鈴子さんが手を引いて教会参拝する中、元気を取り戻していきました。
 鈴子さん夫婦は、神様へのお礼にと、「どうぞ、信心のお供(とも)をさせてください」と願いを立てました。それは、金光教本部への月参りをはじめ、さまざまな行事に教会長のお供をし、ご用を最優先するというもので、その信心姿勢は今も変わっていません。

お礼の参拝ができるように

 さて、2年前の秋、腰から背中にかけて激痛が走り、鈴子さんは動けなくなりました。受診すると、加齢で背骨の間隔がつぶれているとのこと。それはちょうど本部大祭の直前のことでした。
 鈴子さんが、「岡山へ行きたいんです」と医師に言うと、「命と引き換えでもいいのなら、行きなさい」と、きつい口調で言われ、とにかく治療を受けて安静にすることになりました。
 その後、鈴子さんから教会に、「このたびは本部へは行けないと思います。年明けにお参りができるかどうかも」とお届けがありました。
 私は鈴子さんに、「参拝は無理だと言われましたが、自分で神様のおかげの扉を閉めてしまっていますよ。神様がしてくださることを決めてしまわず、お礼の参拝ができるようにと願い方を変えていったらどうでしょう」とお話ししました。鈴子さんは心に感じるものがあったようで、「本当にその通りです。私の考え違いでした」と、翌日から、願いも新たに神様に祈りを込めました。

 鈴子さんは、その年の秋の本部大祭には参拝できませんでしたが、翌月には本部へのお礼参拝ができ、以後、今日まで欠かさずおかげを頂いています。鈴子さんは、「腰は曲がっても、座ってできることなら」と、教会境内での草抜きをするなど、以前にも増して元気にご用に取り組み、皆のお手本となっています。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2013/11/14 16:25:59.061 GMT+9



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