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どちらを選べば安心? 【金光新聞】

母の命を左右する難しい場面

 私の母(77)は、昨年2月、心臓にペースメーカーを入れる手術を受け、その後は日常生活を支障なく過ごしていました。
 ところが、今年の6月、近所に買い物に出掛けた時、路上で急に倒れました。不整脈を起こして失神したのです。
 幸い、体内のペースメーカーの除細動器(電気ショックを与える装置)が作動して意識を回復することができました。
 その翌日、病院で検査を受けました。主治医の先生から、母の心臓の状態は悪化しており、今後同様のことが起きると命に関わる恐れがあること、その治療のためには強い薬を飲む必要があるが、その薬には失明や肝機能不全など重い副作用が出る可能性のあることが告げられました。
 母と私は、副作用の恐れがあっても薬を飲んで不整脈を抑える方を選ぶか、それとも、薬は飲まないが再び不整脈を起こし命に関わるリスクを負うかの二者択一を迫られたのです。
 母としては、心臓は心配だが、副作用で支障が出て家族に迷惑を掛けては申し訳ないから、強い薬は飲みたくないという思いだったようです。

 とにかく、二つのうちのどちらを取るのか、母の命を左右する難しい場面に、私自身も直面したのです。
 私は教会に戻ると、ご神前でご祈念をしながら、今回のお礼とともに、今後どうすればいいのか、神様に問い掛けました。そうこうしている中で、ハッと気付かされることがありました。
 それは、どちらの道を選んでも、そこからさらにおかげを頂かなければいけない、ということでした。

どこまでも心を神様に

 以前、教会に参ってきた若者から、二つの就職内定先のうち、どちらにすればいいかと問われたことがありました。その時、私がその若者に話したのは、「たとえ正しいと思える道を選んだとしても、それで安心ということはない。どちらを選んだとしても、行き詰まることが起きてきて、こちらを選ばなければよかったと思う時が必ずある。だから、どちらを選んだとしても、そこから先もずっとおかげを頂き続けていくことの方が大切ではないか」ということでした。
 母の病気のことをご祈念していて、そのことを思い出したのです。思い出したというより、神様が私に教えてくださったように思います。
 薬を飲んで副作用が出ることを心配する道、薬を飲まずに再び不整脈が起こることを心配する道、どちらを選んでも心配がなくなるわけではありません。どちらにせよ、どこまでも心を神様に向けて、お願いをしておかげを頂いていかなければなりません。
 そう心が定まったことで、少し気持ちが楽になりました。その後、検査入院中の母にそのことを話し、医師を交えて3人で再び話し合った結果、その夜から薬の服用を始めることにしました。そうして1週間ほどかけて慎重に検査をし、副作用は出ていないことが分かり、続けて服薬することになりました。

 私たちは、どちらかを選ぶ必要に迫られた時、良い結果になるのはどちらだろうかと、正解を選ぶことに必死になります。また、それを選べれば、後は大丈夫だと考えがちです。
 しかし、どちらを選んだとしても、それで安心ということはありません。そこから先、さらに神様のおかげを頂き続けねばならない私たちであることを、あらためて思わされています。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2014/01/27 08:47:57.539 GMT+9



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