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教務総長出向で願われるもの

金光教報『天地』 2月号巻頭言

 教祖様ご生誕二百年を迎えた今年、あらためて教祖様のご生涯に思いを寄せ、そのご生涯を貫く信心姿勢やご用の内容を頂いてまいりたい。その一つの方途として、二月中旬から七月上旬にかけて、教務総長が各教区へ出向する。そこでは、生神金光大神取次を具現された教祖様や歴代金光様の御取次の実際に立ち返りながら、「本教とは何か」「生神金光大神取次とは何か」「取次者はどうあればよいか」を、全教の教師と共に求め合い、確かめ合い、その基盤に立って、ここからの新たな教団各面の歩みを進めてまいりたいと願っている。
 教祖様は、起こりくるさまざまな問題のなか、実意丁寧神信心を貫かれ、親神様のご信任を頂いていかれた。その後をお受けになった歴代金光様も、教祖様の信心姿勢やご用内容を踏襲され、生神金光大神取次の業を伝承し、それぞれの時代に現し続けてくださっている。

 三代金光様は、父君であられる金光四神様の「どうぞ攝胤をつこうてくだされ。万事いいつけて使いくだされ。攝胤もあれくらいになったら、御広前の用使いはします」とのご遺言のままに、十四歳でご神勤に当たられる身となられた。その後、実に七十年という長い年月、生神金光大神取次を具現し続けられた。
 昭和十一年八月六日(五十六歳のご誕生日の翌日)、三代金光様が次のように仰せになっている。

「天地のことは人の力におよびませんでなあ。神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます。教祖様が欲を放いて、神様のお取次をお受けなされ、四神様がお跡を十年、夜に日に欲を放れてお座りなされ、早うお国替えなされてなあ。それからなにも知らぬ私が座りさえすれば楽じゃいうて、座らしてもらいました。初めのうちは辛うて辛うて、よう泣きましたがなあ。親様の教えを守らしてもろうて、泣く泣く辛抱しいしいに、座っとりましたら、ほしいものも、考えることも、いつの間にか無くなりましてなあ。ありがとうてありがとうてならぬようになり、なんぼう御礼を申しても、足りませんのじゃ。御礼の足りませぬお詫びばかりしておりますが、勿体ないことであります」

 お道開きにはお道開きの修行があり、後を受ける者には受ける者としての修行があるに違いない。何の苦労もなしに道は開けないし、苦労なしにその道を受けていくこともできないであろう。
 ある先師は、二代教会長であった養父のあまりに厳しい修行に、「お父さん、お道のご用をする者は、お父さんのような修行をせねばならないのですか」と尋ねた。すると、養父は、「私はあんたに、私のしているような修行をしてほしいとも、させようとも思ってはいない。…自分が楽をしていて、神様に無理なお願いはできない。気の毒な人たちのためなら、自分はどんな苦労でもさせていただこうという気にならねばならぬ。そのことだけは心に留めておいてほしい」と答えた。
 またある先師は、まだ若先生として修行中のこと、病で高熱を発し、手足も自由にならないほどの病状で伏していた時、教会長から「あんた、いつまで寝てるんですか。あんたはこの頃、偉うなりすぎて手も足も使わん。ほうきも持たないのなら、手も足もいりませんね」と、厳しい言葉をかけられた。先師はその時、「本当にそうだ」と受け、さっそく床上げをし、ふらつく体でほうきを持たれた。後日、ある人が同じ病で長く伏せ、手足が回復せず、社会復帰ができていないことを知り、自分にはそうはさせまいという神計らいだったと述懐されている。その後はご用にも差し障りなく、やがて三代教会長として立たれたのである。
 同じ事柄や言葉でも、頂き方によって助からないことにもなり、助かりの原動力にもなる。事に当たって、何を見ようとするのか、何をつかんで立ち上がるのか。その違いが、その後の信心姿勢やご用内容の差となっていく。
 三代金光様のお言葉の、「親様の教えを守らしてもろうて、泣く泣く辛抱しいしい」から「ありがとうてありがとうてならぬようになり」へと至られた道筋には、信心辛抱をとおして広がりゆく、果てしない助かりの世界がうかがわれ、「神人の道」を求める私どもが頂かなければならない大切な信心の命ともいえるものが、そこに存在するように思えてならない。
 このたびの各教区への教務総長出向に当たり、生神金光大神取次を具現された教祖様や歴代金光様の御取次の実際を頂き、「生神金光大神取次とは何か、何をどうすることか」について求め、研さんし、共々にいっそうの各教会のごひれいとお道繁盛に向かって、おかげをこうむらせていただきたい。

投稿日時:2014/02/03 10:06:28.574 GMT+9



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