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苦しい過去を皆の前で 【金光新聞】

今できる精いっぱい

 新年を迎える私(45)の楽しみの一つは、教会で頂く〝御神訓(ごしんくん)〟です。
 この御神訓は、金光教祖のみ教えを短冊に記したもので、新年、教会の初祭りの後、参拝者がそれを一枚ずつ引き、そこに書かれてあるみ教えをその年の信心の指針とします。
 たくさんある短冊には、二つとして同じみ教えはありません。昨年、私が引いたみ教えは、「道は人が開け、おかげは神が授ける」でした。
 私には人に言えない、つらく苦しい過去があります。親族や知り合いも、そのことには触れず、私も胸に秘めてきましたが、できることなら、誰かに聞いてほしい、ぶつけてしまいたいという願望を心の奥に持ち続けていました。
 そんな日々を送っていたある日、一人の金光教の先生と出会いました。その先生の教会を何度も訪ね、自分の力だけでは扱い切れない苦しい胸の内を、お結界で聞いて頂きました。今では私も金光教の教師にお取り立てを頂き、その先生を信心の師と慕いながら、神様のご用をさせて頂いています。

 先生と出会ってから6年がたった昨年、「そろそろあなたの過去の苦しかったことを、多くの人たちの前で聞いてもらったらいい」と、私が在籍する教会の大祭で話をすることを勧められました。
 「うまく伝えられるだろうか、全てを失ってしまうのではないだろうか…」。不安な思いに、私は素直にうなずくことができませんでした。
 踏ん切りをつけられない私に先生は、「話が上手下手ということではないですよ。自分の過去を全部さらけ出して話せるかどうかが大事なのです。そして今、どんなおかげを頂いているのか。この二つさえ外さなければ何を話してもいい。語っていく中で課題も見えてくるし、語っていく中でおかげになって、人間は癒やされていく。おかげを頂いてから話そうと思っていたら、いつまでたってもおかげにならない。まとまってから語ろうとしていたら、百年たってもおかげにならない」と、諭すように言われました。
 そう教えて頂いたことで私の腹が決まり、大祭で今できる精いっぱいの話をさせてもらったのです。

神様がおかげにしてくださる

 私の話を聞いてくださった方の中には、自分のことのように安堵(あんど)の表情を浮かべて聞いてくださる方や、後から思いを伝えてくださった方もいました。
 話し終えて自分を振り返った時、あの重く暗かったものをずっと抱えてきた自分が、ここまで助けられ、変わってきたことを実感しました。

 事柄の違いはあれ、誰にも言えないような苦しみを抱えている人たちが世の中にはたくさんおられます。そのような方の中には、自ら命を絶とうと思い詰めている人もいるのです。
 昨年の年頭に頂いた「道は人が開け、おかげは神が授ける」というみ教えと、師である先生が繰り返し私に諭してくださった「語っていく中で、おかげが頂ける」という言葉が、あらためて同じものとして私の心に響いてきます。
 過去の苦しい体験を語って、ありのままの自分を聞いてもらうという、その一歩を踏み出すことは勇気の要ることです。でも、そこから先は、神様がおかげにしてくださるという確信をもって、ここからの信心のけいこに励んでいきたいと思っています。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2014/02/24 12:04:24.444 GMT+9



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