title.jpg

HOME › ご用のために頂いた命 【金光新聞】

ご用のために頂いた命 【金光新聞】

「がんだったらどうしよう」

 平成7年1月、私(当時48)は神戸市内で阪神・淡路大震災に遭い、その年の8月には在籍の教会長が急性心筋梗塞で急逝。さらに今度は、10月ごろから私自身が尿の出方に違和感を覚えるようになりましたが、年齢的なものと思いそのままにしていました。
 明けて1月下旬には脇腹から腰の辺りにかけて強い痛みが出、尿のこともあったので、近くの泌尿器科で診てもらうことにしました。すると、「子宮が大きく写っている」と言われ、婦人科を受診するよう指示されました。「大変なことになっているのでは…」。私は不安で落ち着きませんでした。
 早速、婦人科を受診すると、今度は大学病院で診てもらうように言われ、大学病院で検査してもらったところ、腫瘍ができていて手術が必要と告げられたのです。

 その日、私は入院の予約をして帰宅しました。「がんだったらどうしよう」。心は重く、教会や家族のことなど、不安と心配が渦巻く中、「今は絶対に死ねない」という思いが強く湧き起こりました。
 2月9日に入院し、手術に向けての検査が繰り返される中で、「腫瘍が大きく、腸に癒着していれば人工肛門になるかも分からない」と医師に言われました。そのころには心の整理もできていて、病院のベッドで手を合わせ「金光様、どのようになりましても、それをおかげと頂いてまいります」と、少し開き直りの気持ちもありましたが、そうして手術日を待ちました。実家へ連絡すると、「神様にお任せしよな。手術の時は行くから」と、母(76)はしっかり受け止めてくれました。

おかげを頂くリミット

 手術は2月20日午後から行われました。実家の母や息子と娘が見守ってくれる中、手術室に向かいました。それからどれくらい時間がたったのか、看護師さんの「終わりましたよ」という声がもうろうとした意識の中に響くと、私は「がんですか?」と尋ねました。医師の「境界悪性腫瘍です」という言葉を聞き取ると、また眠ってしまったそうです。
 私が目を覚ますと、娘が「お母さん、本当によかったね」と、目に涙をためて言いました。母は無言で2回うなずき、私は「ありがとう」としか言葉が出ませんでした。
 翌日、医師から「良性でもないが、全くの悪性でもない中間と思ってください。まだ安心はできないが、まずは腸に癒着がなくてよかった」と説明がありました。神様は脇腹のひどい痛みでお知らせくださり、境界悪性腫瘍というぎりぎりのところで助けてくださいました。また、病院で診て頂いたあの時が、おかげを頂くリミットであったと思われてなりません。

 実家の母とは、元気な時はなかなか会えませんでしたが、病気になったからこそしばらく一緒に過ごせ、信心の話もたくさん聞かせてもらうことができました。入院中のある日、私が母に「これからまだまだご用があるんやね。そのために頂いた命やね」と言うと、母は「神様が喜ばれる生き方をさせてもらいよ。信心は神様と自分の関係だからね」と励ましてくれました。
 私はこの病気を通して、起きてくる事には神様のお計らいとおぼしめしがあることを実感しました。そして、「至らない私ですが、どうぞ命の限り神様のご用に使うてくださいませ」と、手術をした2月20日を、神様から再び命を頂いた日として大切にしています。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2014/03/11 14:13:01.140 GMT+9



このページの先頭へ