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神様のお気付けとは?【金光新聞】

美しい色の伊予柑(いよかん)

 実家の母(93)は毎月、離れて暮らす私のもとに、野菜や果物を送ってくれます。
 母は荷造りをし、自らその荷を集配所まで運びます。私は感謝しながらも、老齢の母の身を案じて、「無理はしないでね。連絡すれば、業者さんが来てくれるよ」と言うと、母は「元気で歩くことができるし、自分で何でもさせて頂ける。心配しなくてもいいよ」と答えます。そうした姿から私は、「ご用のできる体で生かしてください」と願う母の祈りの一端を見せてもらっています。
 昨年、母から、美しい色の伊予柑(いよかん)が送られてきました。お礼の電話をすると、「きれいでしょ。うちでも、神様とみたま様にお供えしたのよ」と言いました。私も、奉仕する教会のご神前とご霊前にそれをお供えしました。

 翌日、お下げした伊予柑を食べようと皮をむくと、中身は水分が抜けてパサパサでした。少し驚きながら、続けて一つ、二つとむいてみましたが、どれも同じで、結局、一つとして食べられるものはありませんでした。
 年老いた母が真心で送ってくれたものだけに、このことを伝えるべきかどうか思案しましたが、数日後、思い切って母に電話をしました。
 水分が抜けていて食べられなかったことを伝えると、母は驚いた様子で、「うちのはどれも水分たっぷりでおいしかったよ。同じ物なのに、不思議やなあ」と言い、しばし沈黙した後、「これは神様や。神様が何かお気付けくださっているよ」と言いました。
 母のその言葉が、私の心に引っ掛かり、ご神前で、「金光様、私は何の心得違いをしているのでしょうか。どうぞ気付かせてください」と、祈念しました。そうしてしばらく伏していると、あることに思い至りました。

この伊予柑は、私の心そのもの

 7年前、もろもろの事情から、教会を移転しました。建物は以前よりも小さくなりましたが、私は、喜びの気持ちでご用をさせて頂いていました。しかし、家族の死や病気、ご信者さんの問題など次々と起こり来る中で、次第に教会の厳しい実情にばかり目が向くようになって心が沈み、ほかの教会がうらやましく思えてならなかったのです。
 そのことに思い当たり、私は「外見ばかり考えてどうする。内面のおかげを頂け。中身が大事である」と、神様からお叱りを受けたように思いました。たとえ外側がどれほど立派でも、内側(信心)が枯れていては、何の役にも立ちません。この伊予柑は、私の心そのものだったのです。
 「神様は、先々を見据えて、この厳しい状況の中で私に修行をさせてくださっている。にもかかわらず、目先の事に心がとらわれ、信心の軸がずれていた私に、伊予柑と母の言葉をもって、お気付けくださったのに違いない」。私は、ご神前で心得違いを何度もおわびしました。

 後日、そのことを母に話したところ、「『口に真を語りつつ心に真のなきこと』というみ教えがあるけど、人は美しい物を身に着けても、心が曲がっていたら本当の美しさではない。心が大事やな。神様はいろいろなことを見せて教えてくださる。ありがたいことやなあ」と言ってくれました。
 私はこのことを通して、今、できている事にお礼を申し上げ、信心がぶれないように、心を真っすぐ神様に向けながら、日々、信心に取り組ませて頂きたいと願っています。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2014/04/25 16:49:26.782 GMT+9



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