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ねたむ心よりお礼の心 【金光新聞】

人と比べて不足に思う心

 私(53)は、叔父である先代教会長の病気を機に21年間勤めた会社を退職し、45歳で教会のご用をさせて頂くことになりました。
 退職から40日後に先代は亡くなり、その後、私は金光教教師に任命頂きましたが、会社勤めから一転し、何も分からない中での教会ご用に、夢中で取り組むしかありませんでした。
 先代から直接教えを受ける時間はほとんどなく、わずかに教えてもらったことを頼りにしながらのご用でした。そうした中、自分の心をしっかりと神様に向けることが何より大切だと感じ、これが神様が私に付けてくださった道だと、少しずつ思えるようになっていきました。
 しかし、そういう毎日に少し慣れてくると、次第にいろいろな思いが私の心に生まれてきたのです。それは自分でも思いも寄らなかった「人と比べて不足に思う心」「他人への嫉妬の心」でした。

 当時、独身だった私の一番の願いは、結婚して子孫繁盛のおかげを頂くことでした。金光教の行事に家族連れで参加している人を見ると、うらやましくて仕方ありません。「どうして私だけ、おかげが頂けないのだろうか」と思ってしまうのです。
 そして、そういう思いが日々、心から離れなくなり、「これから先どうなるのか。いつか独りぼっちになってしまうのだろうか」と、不安が大きくなっていきました。さらに「会社の仕事も教会のご用でも、こんなに頑張ってきたのに、なぜ報われないのだろう」とも思ってしまうのです。
 金光教の教祖様の、「人の心を頼りにするから、腹を立てたり物事を苦にしたりすることになる。人に向かう心を神様に向けよ」という教えを思い返しながら、自分の心を神様に向けようとするものの、どうしても他人へのねたみ心が抑えられないのです。

心を神様に向けていく

 そうした中、毎月、親教会である芸備教会へ参拝し、お取次を頂いていたある日、お結界で奥さま先生から、同教会の初代夫人・佐藤照(てる)先生の教えを頂いたのです。それは、病気で子どもを亡くしたある方に諭されたもので、「あんたのつらいことや悲しいことはよう分かった。神様はよくご存じで私もご祈念しておるから、今日からはお礼を申しなさい」という教えでした。そして奥さま先生は続けて、「お礼を申すことが無かったら、探してでもお礼を申しなさい」と、私にみ教えくださいました。
 その言葉を聞いた私は、「ああ、これさえあればよい。このみ教えがあれば、ご用をしていける。信心をさせて頂ける」と感じ、うれしくて、早く教会に戻ってご用をさせて頂きたい、ご祈念をさせて頂きたいと思いました。その後、すぐに悩みから救われたわけではありませんが、照先生の教えを繰り返し頂く中で、それまで、他人のせいにしたり、うらやんだりするなど、問題の本質から逃げていた自分の姿が、少しずつ見えてきたのでした。

 この8年間、自分自身の心に苦しみ、その心と向き合ってきたように思います。そんな中にも、神様は立ち行く道を付けてくださり、2年前、私は結婚の大みかげを頂きました。
 これからのご用の上に、「お礼を申すことを探してでも、お礼を申し、自分の心を神様に向けていく」ことを、あらためて私の信心の原点として求め、少しでもお役に立たせて頂きたいと思います。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2014/05/21 17:21:48.231 GMT+9



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