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神様の巧妙なお計らい 【金光新聞】

結婚12年目にして別居

 今から三十数年前、妻は私と東京で出会いました。そして、私の実家である、地方の金光教の教会に嫁いできました。
 妻は昔、ある宗教から執拗(しつよう)な勧誘を受けたため、宗教に不信感を抱いていました。その妻が、縁あって教会に嫁いだことで、再び宗教を意識しなくてはならなくなったのです。
 妻は、自分の内面を正直に見詰め、謙虚に改まろうとしているかどうかで人を判断してきました。私は当初、妻のそうした性格を十分に理解できていませんでした。
 教会で生活を送りながら、夫である私や私の両親らと接する中で、妻の宗教への不信感がさらに増していきました。やがて、教会の生活に耐えられなくなり、結婚12年目にして、私に別居を宣言しました。妻が36歳、私は42歳、子どもたちは育ち盛りの時でした。

 私の母は、若いころから信者さんや周囲から、慈母のような人だと慕われてきました。本当に穏やかで優しく、祈りも強く、見事におかげを頂く人柄として、現在も多くの人から大切にされています。
 母にとってそうしたことは、元々身に備わったごく自然なもので、意識して改まるとか、変わろうと思って信心に取り組んだことはなかったのです。しかし妻にとっては、そうした自分自身に満足しているような母の在り方が、不信の対象になっていきました。
 信心を進めていく上で、祈りは大切なこととして、優れた良い人柄を目指すのか、神様の意志と願いを目標にするのか。妻と母とでは、その焦点の合わせ方がとりわけ対照的だったのです。
 妻は、自分の理想の信心像を、教会とその家族に、また、金光教に期待していたのでしょう。しかし、妻のその期待は外れていきました。

まさかの大どんでん返し

 そうした苦しい日々の中で、そのころの私は、神様のご意志を頂ける信心に取り組んでいました。その中で起きてきたこのことを、自分が改まり成長するために必要な神様からの試練と受け止め、別居を無条件で受け入れる決心をしました。
 私が「おまえの思う通りにしたらいい」と告げると、妻は「それでは出て行きます」と答えました。「これで別居が決まった」と覚悟しましたが、同時に、「別居しても、必ず立ち行く道がついていく」という不思議な安心感がありました。

 それから2日後。妻が「お義母さんの後ろに神様が見えた。出て行く意味が無くなった」と、私に告げました。そして、「お義母さんによって、私が修行させて頂ける。私はそのためにこの家に嫁いできたのだと、はっきり分かりました」と言ったのです。妻は、自分が納得できるまで追求していく性分です。結婚してからの12年間、彼女なりに「何が本当のことなのか、何に気付かなければならないのか」と、苦しみながら、神様に問い続けてきたその答えが、突如として見えたのです。 
 それは、理屈を超えたまさかの大どんでん返しでした。この展開に私は驚く反面、これまでのことは全て、巧妙な神様のお計らいであったと頂きました。
 私は、神様のご意志を頂いておかげを受け、未熟な自分が変わっていくことを、信心の目標にして取り組んできました。この出来事から、起きてくる困難は難儀ではなく、わが心が育つために神様から差し向けられた試練であることを、私は学ばせて頂いたのです。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2014/06/03 13:51:43.215 GMT+9



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